海風吹き抜ける堺駅と幕末の堺
まいどまいど! 日本万国博覧会の前身にあたる内国勧業博覧会が大阪府堺市と大阪市天王寺区と浪速区で開催され、連日、多くの見物客でにぎわってたっちゅうて、その偉業は現在も語り継がれてまして。 開催地の一つとなった大阪府堺市内の大浜公園では随所に、その名残を見ることができまんねん。 ほんでまた、周辺では、旧堺港、旧堺灯台、旧大浜水上飛行場が残ってまんねん。 かつて、南蛮貿易で栄えた堺港は大阪経済を栄え、東洋のベニスと呼ばれ、海外から訪れた宣教師も堺の繁栄ぶりに驚きはったんやで。 せや!この歴史も立派な功績やさかい、語り継いでいきまひょ! っちゅうことで、シンボルの龍女神像が建立されましてん。 今では多くの観光雑誌に取り上げられてまんねやけど、それ以外にも堺では、与謝野晶子氏の出身地として知られ、生誕地や居住跡、そして像が建立されてまんねん。 どや!?すごいでっしゃろ? ほんでから、現在の関西国際空港、大阪国際空港(伊丹空港)の前身にあたる旧大浜水上飛行場は大阪市大正区に移転される日まで、実際に使用されてたんやで~。 堺はまだまだおもろいとこがあるさかい、遊びに行きまひょ!
竪川橋梁跡
大阪府堺市内を流れる竪川にある橋梁跡。 1983年、南海電気鉄道の本線が高架化。 高架化の完成に伴い、地上を走行していた旧本線は廃止され、かつての遺構が現存。
吉川俵右衛門顕彰碑
1704年、吉川俵右衛門は大和川の付替え以来、土砂がたまり船の出入りに支障をきたしていた堺港の修築に尽力。 江戸浅草の商人俵右衛門は商用で訪れた港の様子に一念発起し、堺商人の協力を得て1790年に修築を開始。 1810年、工事は完成し、現在の堺旧港の原型がつくられた。
幕末の堺港を語る標柱石
北波止の突堤付近から出土。 1865年、港に出入りする船に対し、運行上の注意を促すため、新地方(港の管理にあたる役所)が建立。 当初、石の上部が損失していたが、発掘調査により、上部も出土し、当地に復元。
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