太平記を巡る。
「太平記」を旅する。 様々な人々の活躍をダイナミックに描いている「太平記」の主要人物を私なりに理解する為に南北朝時代を舞台に、文保2年(1318年)に即位した後醍醐天皇を中心とする正中の変、元弘の乱、鎌倉幕府の滅亡、建武の新政とその崩壊後の南北朝分裂、観応の擾乱あたりまでの旅。
王子神社
『太平記』では、淵辺義博は土牢の中で護良親王を組み伏せ、格闘の末にようやく首を取った淵辺が首を持ち外に出て月あかりで見ると、首は両眼を見開き、歯には刀の先をくわえたままの凄惨な形相であった。淵辺はあまりの恐ろしさに、首を竹藪に投げすてたという。 首がどうなったかについては太平記は語っていない。 王子神社には、殺害された親王の御首を、側女が密かに持ち出しその御首を地下に葬ったと伝えられる。その上に建てられたのが王子神社と言われている。 また、首を洗い清め奉じたとされる、護良親王の首洗い井戸が王子神社の近くにある。
首洗井戸
『太平記』では、淵辺義博は土牢の中で護良親王を組み伏せ、格闘の末にようやく首を取った淵辺が首を持ち外に出て月あかりで見ると、首は両眼を見開き、歯には刀の先をくわえたままの凄惨な形相であった。淵辺はあまりの恐ろしさに、首を竹藪に投げすてたという。 首がどうなったかについては太平記は語っていない。 王子神社には、殺害された親王の御首を、側女が密かに持ち出しその御首を地下に葬ったと伝えられる。その上に建てられたのが王子神社と言われている。 また、首を洗い清め奉じたとされる、護良親王の首洗い井戸が王子神社の近くにある。
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