ええじゃないか ええじゃないか 浦賀奉行所
まいどまいど! 「ええじゃないか」は民衆の封建社会への抗議の表れとされ、三河で起こり、伊勢神宮などのお札が降って人々が狂喜乱舞になったという。 神奈川県横須賀市にもかつて浦賀奉行所があったが奉行所としても収拾がつかないほど町中が狂乱状態になったといい、今でも各地に伝説が残ってねんやとか。 付近には現代としては珍しい和式灯台が燈明崎に再現され、周辺の燈明堂海岸とともに観光名所の一つともなってまんねん。 海岸は砂浜として整備され、季節になると多くの海水浴客でにぎわう。 また、千代ヶ崎砲台跡があり、東京湾要塞の一つで東京を守る目的で建設された陸軍要塞の砲台群。 時代の流れとともに当時を物語る軍事遺跡としては数少ない貴重な存在となってしまいましたが、砲座、砲床の3砲座が配置され、塁道―砲座間の地下には砲側弾薬庫、掩蔽部、貯水所などの地下施設が付帯など、今でも垣間見ることができまんねん。 さらに、浦賀は海に面した場所ととして知られ、日本初のドライドックや国内初の旅客兼車両渡船(鉄道連絡船)として青函連絡船「翔鳳丸」「飛鸞丸」を竣工するなど、日本初が詰まってまっせ。
(有)精栄軒 本店
1910年、創業。 おもちどら焼きなどの和菓子やチーズケーキなどの洋菓子も。 横須賀お土産コンテスト入賞商品 おりょうと竜馬の愛したかすていらも人気。
浦賀の廻船問屋(萬屋清左衛門家)
かつて主に干鰯問屋が繁栄していたが多くの船が行き交うようになり、積荷の検査や集荷・運送・揚げ降ろしなどを行う廻船問屋が繁栄。 浦賀奉行所が置かれたことをきっかけに多くの商人が集まり、米穀・酒類・塩の問屋などが軒を連ね、相模国一番の商業地として繁栄したとか。
燈明堂海岸
神奈川県の三浦半島南東部にある三浦海岸の一部。 海岸は砂浜として整備され、季節になると多くの海水浴客でにぎわう。 また1648年に建設された和式灯台の燈明堂があり、見学することができる。 その他、1720年に開設された浦賀奉行所の処刑場があったとされ、周囲には多くの供養塔が建立。
千代ヶ崎砲台跡
千代ヶ崎砲台は東京湾要塞の一つで東京を守る目的で建設された陸軍要塞の砲台群。 因みに猿島砲台跡と千代ヶ崎砲台跡の二か所が軍事遺跡として日本初の国史跡に指定。 猿島砲台跡は横須賀新港沖合いの猿島に所在し、1881年、起工。 千代ヶ崎砲台跡は1892年、起工。 砲座、砲床の3砲座が配置され、塁道―砲座間の地下には砲側弾薬庫、掩蔽部、貯水所などの地下施設が付帯。
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