横浜・馬車道界隈で見つけた「日本の初めて」
まいどまいど! 南京町(兵庫県神戸市)や長崎新地中華街(長崎県長崎市)と並ぶ日本三大中華街として名高い神奈川県横浜市。 ここは、一般的に中華街と呼ばれ、国内外問わず、ぎょうさんの観光客が訪れてはりまんな。 その他にも横浜みなとみらい21、横浜スタジアムなど、見どころはぎょうさんありますが、その中でも、現在の横浜が発展するその礎を築いたのが横浜港。 1241年に現在の横浜港の前身にあたる横浜湊が開港して以来、1859年に本格的に開港し、海外からぎょうさんの人が訪れ、横浜の街を行き交い、ぎょうさんの「もの・文化」が誕生しました。 例えば、それまでの日本には無かった食パンやアイスクリーム、洋裁業、消防・救急、ホテルなどが上陸し、人々を驚かせました。 また、ぎょうさんの外国人が住み暮らした居留地が整備されたことで、まちにはぎょうさんの洋風建築ならびに近代建築物が建てられ、その独特な外観からまるで海外を訪れたかのような雰囲気を漂わせてはります。 諸説ありますが、それらの横浜発祥・横浜元祖・横浜文化などなどの横浜らしさを馬車道界隈で見つけてきましたので、ぜひ、参考にしておくれやっしゃ~。
我国西洋歯科医学 発祥の地
1865年、米国のイーストレイクは来日し、居留地108番地で歯科診療所を開業。 東洋の昆虫採集に励む傍ら日本人歯科医師の育成、治療活動に専念した。 1869年、ドイツに転居。 1881年、再来日し、居留地160番館で歯科診療所を開設。 1884年、福沢諭吉と出会い、東京の麹町に転居。 1870年、セント・ジョージ・エリオットは57番館で歯科診療所を開業し、1874年まで歯科診療に従事した。 その後、ハラック・マーソン・パーキンス歯科診療所を開業し、多くの門人を指導した。 松岡萬蔵は、エリオットとパーキンスの歯科診療所で技工士として勤務。
日本で最初のガス灯
1872年、実業家高島嘉右衛門とフランス人の技師プレグランの尽力により、ガス利用では日本で初めてとなるガス灯が造られた。 伊勢山下石炭蔵跡(現在の横浜市中区花咲町)に横浜瓦斯会社が設立され、ガス灯が一般事業として運営され、ガス灯が横浜の大江橋から馬車道・本町通界隈に設置された。 横浜市内の小学校でガス灯が保存。
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