紫式部は、雲林院のある辺りに生まれ育ったと言われている。
この紫式部の墓所は、その雲林院の東にある。
「雲林院は、亡き母桐壺の御息所の兄君の律師が籠っているお寺であったが、源氏はそこで経典などを読誦し、また朝夕に勤行などをしたいと思って、二、三日逗留したのであった。そのうちには、しみじみと心に沁みることばかり多かった。」、とある。
元々、紫式部の墓は別な場所にあったらしい。紫式部は源氏物語を書いた当時、その内容から周りの人々から紫式部が地獄に落ちると思われていたのでそれから救うために、閻魔大王の補佐をしたとされる小野篁の墓の側に移したのが今のお墓と言われている。