小柳 恵一
小柳 恵一

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古事記を巡る旅

古事記  現代語譯古事記
稗田の阿禮、太の安萬侶  武田祐吉訳

古事記を巡る旅 古事記 現代語譯古事記 稗田の阿禮、太の安萬侶 武田祐吉訳

古事記を巡る旅 古事記 現代語譯古事記 稗田の阿禮、太の安萬侶 武田祐吉訳

鹿児島神宮

鹿児島神宮

神の御子 古事記によると、 “(神武天皇が)はじめ日向の國においでになつた時に、阿多の小椅の君の妹のアヒラ姫という方と結婚して、タギシミミの命・キスミミの命とお二方の御子がありました” 神武天皇の最初の妃がアタのアヒラ姫である。アタとは阿多(吾田)であり、ハヤトの地になる。このハヤトの地は狭野に住む神武天皇にとって重要な位置付けであったと考えられる、と梅原猛と述べている。つまり、神武天皇東征にハヤトの人々がおおいに関わっているとしている。 そのアタのハヤトの地に神武天皇がヒコホホデミの命を祀るために建てたとの伝承が鹿児島神宮にある。

神武天皇陵

神武天皇陵

タギシミミの命の變 古事記によると、 “カムヌナカハミミの命は、天下をお治めになりました。すべてこのカムヤマトイハレ彦の天皇は、御歳百三十七歳、御陵は畝傍山の北の方の白檮の尾の上にあります。”

綏靖天皇葛城高丘宮跡

綏靖天皇葛城高丘宮跡

二、綏靖(すいせい)天皇以後八代 綏靖天皇 “カムヌナカハミミの命(綏靖天皇)、大和の國の葛城の高岡の宮においでになつて天下をお治め遊ばされました。”

綏靖天皇陵

綏靖天皇陵

“綏靖天皇陵は御年四十五歳、御陵は衝田の岡にあります。”

石園座多久虫玉神社

石園座多久虫玉神社

安寧(あんねい)天皇 “シキツ彦タマデミの命(安寧天皇)、大和の片鹽の浮穴の宮においでになつて天下をお治めなさいました。” 抜粋: 古事記 現代語譯古事記 稗田の阿禮、太の安萬侶 武田祐吉訳 写真は、大和の片鹽の浮穴の宮跡にある石園座多久虫玉神社

安寧天皇陵

安寧天皇陵

“安寧(あんねい)天皇の御年四十九歳、御陵は畝傍山のミホトにあります。”

懿徳(いとく)天皇 大和の輕の境岡の宮伝承の地

懿徳(いとく)天皇 大和の輕の境岡の宮伝承の地

懿徳(いとく)天皇 “オホヤマト彦スキトモの命(懿徳天皇)、大和の輕の境岡の宮においでになつて天下をお治めなさいました。”

懿徳天皇陵

懿徳天皇陵

“懿徳(いとく)天皇は御年四十五歳、御陵は畝傍山のマナゴ谷の上にあります。”

大和の葛城の掖上の宮跡

大和の葛城の掖上の宮跡

孝昭(こうしょう)天皇 “ミマツ彦カヱシネの命(孝昭天皇)、大和の葛城の掖上の宮においでになつて天下をお治めなさいました” 抜粋: 古事記 現代語譯古事記 稗田の阿禮、太の安萬侶 武田祐吉訳 写真は、大和の葛城の掖上の宮跡にある奈良県立 御所実業高等学校

孝昭天皇掖上博多山上陵

孝昭天皇掖上博多山上陵

“孝昭(こうしょう)天皇は御年九十三歳、御陵は掖上の博多山の上にあります。”

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