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梅原猛の「隠された十字架 - 法隆寺論」散歩
歴史は藤原不比等によって日本書紀において偽造された。しかし、どうしても偽装しきれないものが残る。その真実の隠された尻尾が、正に法隆寺ではないか、と梅原猛は書いている。 古事記はオオクニヌシの鎮魂を、日本書紀は聖徳太子とその一族の鎮魂と、聖徳太子を聖人に祭り上げることによる仏教の促進とそれにより人々を引きつけるための藤原不比等の戦略であった。 そして藤原氏の幸せを願うための興福寺と聖徳太子と一族の鎮魂のための法隆寺を同時に建てる事により藤原不比等は安心感を覚えたのではないか、と梅原猛は分析している。
用明天皇磐余池辺雙槻宮跡伝承地
古事記によると、“弟のタチバナノトヨヒの命(用明天皇)、大和の池の邊の宮においでになつて、三年天下をお治めなさいました。” 抜粋: 古事記 現代語譯古事記 稗田の阿禮、太の安萬侶 武田祐吉訳 聖徳太子はここで生まれてことになる。橘寺で生まれたとの話は後に作られたということか。
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