古事記を巡る旅 古事記 現代語譯古事記 稗田の阿禮、太の安萬侶 武田祐吉訳
古事記を巡る旅 古事記 現代語譯古事記 稗田の阿禮、太の安萬侶 武田祐吉訳
大阪天満宮 鳥居
8. 難波の湾 現在、大阪天満宮があります。 古事記によると、 “その國から上つておいでになる時に、難波(浪速)の灣を經て河内の白肩の津に船をお泊めになりました。” 抜粋: 古事記 現代語譯古事記 稗田の阿禮、太の安萬侶 武田祐吉訳 写真は、大阪天満宮にある記念碑。
〒579-8001 大阪府東大阪市善根寺町6丁目7−67
9. 河内の白肩の津 現在、春日神社があります。 東征で、大和の國のトミに住んでいるナガスネ彦の軍と戦ったと言われている白肩の津。 古事記によると、 “難波の灣を經て河内の白肩の津に船をお泊めになりました。この時に、大和の國のトミに住んでいるナガスネ彦が軍を起して待ち向つて戰いましたから、御船に入れてある楯を取つて下り立たれました。そこでその土地を名づけて楯津と言います。今でも日下の蓼津と言つております。かくてナガスネ彦と戰われた時に、イツセの命が御手にナガスネの矢の傷をお負いになりました。” 抜粋: 古事記 現代語譯古事記 稗田の阿禮、太の安萬侶 武田祐吉訳
大阪湾
10. チヌ(血沼)海 血沼あるいは茅渟と書き、現在の泉佐野市あたりです。 古事記によると、 “そこで仰せられるのには「自分は日の神の御子として、日に向つて戰うのはよろしくない。そこで賤しい奴の傷を負つたのだ。今から𢌞つて行つて日を背中にして撃とう」と仰せられて、南の方から𢌞つておいでになる時に、和泉の國のチヌの海に至つてその御手の血をお洗いになりました。そこでチヌの海とは言うのです。” 抜粋: 古事記 現代語譯古事記 稗田の阿禮、太の安萬侶 武田祐吉訳
水門吹上神社(湊本ゑびす)
11. ヲの水門 現在、水門吹上神社があります。 古事記によると、 “其處から𢌞つておいでになつて、紀伊の國のヲの水門においでになつて仰せられるには、「賤しい奴のために手傷を負つて死ぬのは殘念である」と叫ばれてお隱れになりました。それで其處をヲの(男之)水門と言います。御陵は紀伊の國の竈山にあります” 抜粋: 古事記 現代語譯古事記 稗田の阿禮、太の安萬侶 武田祐吉訳
竃山神社
12. 竈山(かま山) 現在、竈山神社が建ち、カムヤマトイハレ彦の命(神武天皇)の兄君であるイツセの命を祀っています。 古事記によると、 “其處から𢌞つておいでになつて、紀伊の國のヲの水門においでになつて仰せられるには、「賤しい奴のために手傷を負つて死ぬのは殘念である」と叫ばれてお隱れになりました。それで其處をヲの(男之)水門と言います。御陵は紀伊の國の竈山にあります” 抜粋: 古事記 現代語譯古事記 稗田の阿禮、太の安萬侶 武田祐吉訳
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