古事記を巡る旅 古事記 現代語譯古事記 稗田の阿禮、太の安萬侶 武田祐吉訳
古事記を巡る旅 古事記 現代語譯古事記 稗田の阿禮、太の安萬侶 武田祐吉訳
枚聞神社
七、ヒコホホデミの命 海幸と山幸 古事記によると、 “そこでシホツチの神が「わたくしが今あなたのために謀を𢌞らしましよう」と言つて、隙間の無い籠の小船を造つて、その船にお乘せ申し上げて教えて言うには、「わたしがその船を押し流しますから、すこしいらつしやい。道がありますから、その道の通りにおいでになると、魚の鱗のように造つてある宮があります。それが海神の宮です。その御門の處においでになると、傍の井の上にりつぱな桂の木がありましよう。その木の上においでになると、海神の女が見て何とか致しましよう」と、お教え申し上げました。” ヒコホホデミの命が訪れた海の神の宮があった枚聞(ひらきき)神社
青島
古事記によると、 “「これは貴い御子(ホヲリの命)と言つて、内にお連れ申し上げて、海驢の皮八枚を敷き、その上に絹の敷物を八枚敷いて、御案内申し上げ、澤山の獻上物を具えて御馳走して、やがてその女トヨタマ姫を差し上げました。そこで三年になるまで、その國に留まりました。” 抜粋: 古事記 現代語譯古事記 稗田の阿禮、太の安萬侶 武田祐吉訳 写真は、ホヲリの命(山幸彦)が海神宮(わたつみのみや)から帰還した際に青島に上陸して宮を営んだ、との伝説がある青島神社。
潮嶽神社
“かくして悉く海神の教えた通りにして(ヒコホホデミの命は、ホデリの命に)鉤を返されました。そこでこれよりいよいよ(ホデリの命は)貧しくなつて更に荒い心を起して攻めて來ます。攻めようとする時は潮の盈ちる珠を出して溺らせ、あやまつてくる時は潮の乾る珠を出して救い、苦しめました時に、おじぎをして言うには、「わたくし(ホリデの命)は今から後、あなた樣(ヒコホホデミの命)の晝夜の護衞兵となつてお仕え申し上げましよう」と申しました。そこで今に至るまで隼人はその溺れた時のしわざを演じてお仕え申し上げるのです。” 弟である山幸彦に負けこの地に追いやられたと伝えられている。海幸彦を祀る潮獄神社。
鵜戸神宮
トヨタマ姫 古事記によると、 “そこでその海邊の波際に鵜の羽を屋根にして産室を造りましたが、その産室がまだ葺き終らないのに、御子が生まれそうになりましたから、産室におはいりになりました。その時夫の君に申されて言うには「すべて他國の者は子を産む時になれば、その本國の形になつて産むのです。それでわたくしももとの身になつて産もうと思いますが、わたくしを御覽遊ばしますな」と申されました。ところがその言葉を不思議に思われて、、、” 写真は、トヨタマビメが山幸彦の御子であるウガヤフキアエズ(神武天皇の父)を産むための産屋が建てられた場所とされている鵜戸神宮。 (2015年11月)
狭野神社
カムヤマトイハレ彦の命(神武天皇)を祀る狭野神社
吾平山上陵
アマツヒコヒコナギサタケウガヤフキアヘズの命(神武天皇の父)のお墓について古事記は記載していません。なお、宮内庁は吾平山上陵(あいらさんりょう)をアマツヒコヒコナギサタケウガヤフキアヘズの命のお墓として管理している。 写真はアマツヒコヒコナギサタケウガヤフキアヘズの命(神武天皇の父)の墓
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