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梅原猛の「隠された十字架 - 法隆寺論」散歩
歴史は藤原不比等によって日本書紀において偽造された。しかし、どうしても偽装しきれないものが残る。その真実の隠された尻尾が、正に法隆寺ではないか、と梅原猛は書いている。 古事記はオオクニヌシの鎮魂を、日本書紀は聖徳太子とその一族の鎮魂と、聖徳太子を聖人に祭り上げることによる仏教の促進とそれにより人々を引きつけるための藤原不比等の戦略であった。 そして藤原氏の幸せを願うための興福寺と聖徳太子と一族の鎮魂のための法隆寺を同時に建てる事により藤原不比等は安心感を覚えたのではないか、と梅原猛は分析している。
法隆寺 夢殿
不比等と橘千代との間に生まれた娘である光明皇后がその聖徳太子一族の鎮魂の為に建てたのが夢殿である。聖徳太子の屋敷跡に六角堂、つまり墓を光明皇后が僧行信に建てさせた。僧行信は呪詛を得意とする。夢殿に秘仏として安置されている救世観音と言われている像は聖徳太子の写しとされているが、木像であり頭に後ろから釘が打たれている。僧行信は、後に、どなたかへの呪詛の罪で下野薬師寺に流されている。 https://youtu.be/kO_B2tj8mFk
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