古事記を巡る旅 古事記 現代語譯古事記 稗田の阿禮、太の安萬侶 武田祐吉訳
古事記を巡る旅 古事記 現代語譯古事記 稗田の阿禮、太の安萬侶 武田祐吉訳
揖夜神社
黄泉の國 古事記によると、 “このお隱れになつたイザナミの命は出雲の國と伯耆の國との境にある比婆の山にお葬り申し上げました。” 抜粋: 古事記 現代語譯古事記 稗田の阿禮、太の安萬侶 武田祐吉訳 写真にある揖夜神社の拝殿が、イザナミが葬られた比婆の山に向かって建てられています。
黄泉比良坂
黄泉津比良坂/伊賦夜坂 古事記によると、 “最後には女神イザナミの命が御自身で追つておいでになつたので、大きな巖石をその黄泉比良坂に塞いでその石を中に置いて兩方で對い合つて離別の言葉を交した時に、イザナミの命が仰せられるには、「あなたがこんなことをなされるなら、わたしはあなたの國の人間を一日に千人も殺してしまいます」といわれました。そこでイザナギの命は「あんたがそうなされるなら、わたしは一日に千五百も産屋を立てて見せる」と仰せられました。こういう次第で一日にかならず千人死に、一日にかならず千五百人生まれるのです。かくしてそのイザナミの命を黄泉津大神と申します。”
江田神社
身禊(みそぎ) 古事記によると、 “イザナギの命は黄泉の國からお還りになつて、「わたしは隨分厭な穢い國に行つたことだつた。わたしは禊をしようと思う」と仰せられて、筑紫の日向の橘の小門のアハギ原においでになつて禊をなさいました。” 伝説の地として「筑紫の日向の橘の小門のアハギ」 1つは、宮崎の大淀川です。 2つ目は、福岡の小門 宮崎市の「阿波岐原」町がその場所であると梅原猛が指摘している。日向で最も古い弥生時代初期の稲作が発見されている。まさにイザナギ(男)からアマテラス、スサノウとツキヨミが生まれたことは、縄文から弥生への時代、文化、イデオロギーの変化であったことを示している。
小戸大神宮参詣道石碑
身禊候補地2:小戸神宮 福岡の小門=小戸
伊弉諾神宮
イザナギの命は身禊の後 古事記によると、 “このイザナギの命は、淡路の多賀の社にお鎭まりになつておいでになります。” とあります。その地に、今は伊奘諾神宮が祀られています。
天安河原
二、天照らす大神とスサノヲの命 誓約(うけい) 古事記によると、 “そこで天照らす大神は、「それならあなたの心の正しいことはどうしたらわかるでしよう」と仰せになつたので、スサノヲの命は、「誓約を立てて子を生みましよう」と申されました。よつて天のヤスの河を中に置いて誓約を立てる時に、”
宗像大社沖津宮遙拝所
“ここに天照らす大神はスサノヲの命に仰せになつて、「この後から生まれた五人の男神はわたしの身につけた珠によつてあらわれた神ですから自然わたしの子です。先に生まれた三人の姫御子はあなたの身につけたものによつてあらわれたのですから、やはりあなたの子です」と仰せられました。その先にお生まれになつた神のうちタギリヒメの命は、九州の宗像の沖つ宮においでになります。次にイチキシマヒメの命は宗像の中つ宮においでになります。次にタギツヒメの命は宗像の邊つ宮においでになります。” タギリヒメの命を参拝するための大島にある沖津宮の遥拝所。ここから沖ノ島(沖津宮)を望み参拝するために建立されています。
宗像大社中津宮
イチキシマヒメの命を祀る宗像大島にある宗像大社中津宮です。 この神社の入り口の向かって左には、七夕伝説発祥の地となっています。
宗像大社
タギツヒメの命がおいでになる宗像の邊つ宮である宗像神社。
七本杉(天岩戸神社東宮)
天の岩戸 古事記によると、 “天照らす大神が田を作つておられたその田の畔を(スサノヲの命が)毀したり溝を埋めたりし、また食事をなさる御殿に屎をし散らしました。” 写真は、天照らす大神の御殿があったとの伝説がある天岩戸神社東宮の裏からの眺めです。
天岩戸神社
古事記によると、 “(スサノヲの命)その機織場の屋根に穴をあけて斑駒の皮をむいて墮し入れたので、機織女が驚いて機織りに使う板で陰をついて死んでしまいました。そこで天照らす大神もこれを嫌つて、天の岩屋戸をあけて中にお隱れになりました。” 抜粋: 古事記 現代語譯古事記 稗田の阿禮、太の安萬侶 武田祐吉訳 写真は、天岩戸神社(西本宮)の拝殿です。西本宮の拝殿は、岩戸川を挟んで天岩戸に向かって建てられています。
天安河原
天安原(あまのやすかわら)天岩戸神社(西本宮) アマテラスが身を隠して世界が真っ暗闇になった時、八百万の神々が集まって相談したとされる安の河の河原です。
天香久山
天香山 “アメノコヤネの命とフトダマの命とを呼んで天のカグ山の男鹿の肩骨をそつくり拔いて來て、天のカグ山のハハカの木を取つてその鹿の肩骨を燒いて占わしめました。次に天のカグ山の茂つた賢木を根掘ぎにこいで、上の枝に大きな勾玉の澤山の玉の緒を懸け” 抜粋: 古事記: 現代語譯 古事記 稗田の阿禮、太の安萬侶 写真は、藤原宮跡にある大官大寺から眺めた天香山。
須我神社
三、スサノヲの命 八俣の大蛇 古事記によると、 “スサノヲの命は逐い拂われて出雲の國の肥の河上、トリカミという所にお下りになりました。この時に箸がその河から流れて來ました。それで河上に人が住んでいるとお思いになつて尋ねて上つておいでになりますと、(中略)かくしてスサノヲの命は、宮を造るべき處を出雲の國でお求めになりました。そうしてスガの處においでになつて仰せられるには、「わたしは此處に來て心もちが清々しい」と仰せになつて、其處に宮殿をお造りになりました。” トリカミは現在の八岐大蛇公園。 肥の河(ヒノカワ)は現在の斐伊川。 写真は、その住居跡との伝説がある須我神社。
八岐大蛇公園
肥の河上、トリカミ “スサノヲの命は逐い拂われて出雲の國の肥の河上、トリカミという所にお下りになりました。この時に箸がその河から流れて來ました。”
天が淵
天が淵 ヤマタノオロチが住んでいたと言われる場所。“コシの八俣の大蛇が毎年來て食べてしまいます。”
ログイン