津和野で古き良き日本人の心のふるさとを感じる
まいどまいど! 瀬戸内海沿いに位置し、山口県の玄関口の一つである新山口駅から日本海側に向けて走る西日本旅客鉄道(JR西日本)山口線の停車駅「津和野駅(島根県鹿足郡津和野町)」。 休日のみ運行されるというD51蒸気機関車(SLやまぐち号)に乗ってゆっくりゆったりと揺られながら辿りついた。 津和野駅はD51蒸気機関車(SLやまぐち号)の終着駅となっており、駅のすぐそばには蒸気機関車が回転するための転車台が設置され、現役でんねん。 この日もカメラや携帯電話で撮影する観光客が集まり、大いににぎわってはりました。 また、駅周辺では江戸時代から続く古い町並みが現存し、「山陰の小京都」との異名を持ってまんねん。 実際に街をぶらぶら歩いてみると、趣のある昔ながらの雰囲気が残る酒蔵や津和野町津和野庁舎、藩校養老館、太鼓谷稲成神社などがあり、見どころも満載。 その他、イタリア生まれの卵とバターを使ったパンの中に、ジェラートアイスを挟んだ「焼きアイス」というご当地グルメも味わいつつ、山陰の小京都を満喫する。 かつては津和野城の城下町としての賑わいを見せた津和野の街並みをゆっくりゆったりと歩いてみまへんか?
釜井商店
津和野町のお土産や地酒、名特産物などを販売する。 また、レンタサイクル、手荷物の預かりサービスなどを行っている。
津和野城跡
別名、三本松城、一本松城。 藩主屋敷は高等学校、庭園は嘉楽園となった。 1282年、吉見頼行は沿岸防備の為、西石見地方の地頭として赴任。 当初、木薗(木曽野。現在の津和野町木部)に屋敷(吉見氏居館)を設け、御嶽城や徳永城を築城。 1295年、標高367mの霊亀山に築城開始、1324年に完成後、吉見氏14代の居城となった。 戦国時代、吉見氏は大内氏に属したが、11代当主正頼は大寧寺の変で大内義隆を滅ぼした陶晴賢に対して挙兵。 1554年、100日以上に及ぶ籠城戦(三本松城の戦い)が勃発。 厳島の戦いに勝利した毛利氏が防長経略を開始、吉見氏はその傘下に入り、津和野城を居城とした。
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