津和野で古き良き日本人の心のふるさとを感じる
まいどまいど! 瀬戸内海沿いに位置し、山口県の玄関口の一つである新山口駅から日本海側に向けて走る西日本旅客鉄道(JR西日本)山口線の停車駅「津和野駅(島根県鹿足郡津和野町)」。 休日のみ運行されるというD51蒸気機関車(SLやまぐち号)に乗ってゆっくりゆったりと揺られながら辿りついた。 津和野駅はD51蒸気機関車(SLやまぐち号)の終着駅となっており、駅のすぐそばには蒸気機関車が回転するための転車台が設置され、現役でんねん。 この日もカメラや携帯電話で撮影する観光客が集まり、大いににぎわってはりました。 また、駅周辺では江戸時代から続く古い町並みが現存し、「山陰の小京都」との異名を持ってまんねん。 実際に街をぶらぶら歩いてみると、趣のある昔ながらの雰囲気が残る酒蔵や津和野町津和野庁舎、藩校養老館、太鼓谷稲成神社などがあり、見どころも満載。 その他、イタリア生まれの卵とバターを使ったパンの中に、ジェラートアイスを挟んだ「焼きアイス」というご当地グルメも味わいつつ、山陰の小京都を満喫する。 かつては津和野城の城下町としての賑わいを見せた津和野の街並みをゆっくりゆったりと歩いてみまへんか?
太皷谷稲成神社
通称、津和野のおいなりさん。 全国の神社では唯一「いなり」を「稲成」と表記する。 「稲成」と表記するのは、願い事が叶うように、という思いから。 祭神は、宇迦之御魂神(稲荷神)、伊弉冉尊。
沙羅の木 松韻亭
地域の名産品や特産品を販売している他、レストランもあり、ゆったりと過ごすことができる。 そんな中で、最近、津和野町の新たな名物として注目を集めているのが、焼きアイス。
小藤文次郎先生 生誕の地
1856年、島根県鹿足郡津和野生まれ。 日本の地球科学者(地質学、岩石学、鉱物学、火山学、地震学等)で活躍。 藩校の養老館で漢学や蘭学を学ぶ。 1870年、藩から大学南校(後の開成学校、東京大学)貢進生を卒業。 1877年、東京帝国大学(東京大学)理学部地質学及び採鉱学科卒業。 1880年、ドイツに留学、ライプツィヒ大学、ミュンヘン大学へ留学。 1883年、東京大学地質学科と地質調査所の関係者によって地学会が結成、「地学会誌」創刊。 1884年、東京帝国大学理学部地質学科講師に就任。 1891年、濃尾地震の断層地震説を発表。 1939年、日本人初の鉱物で小藤に因んだ小藤石が発表。
中田瑞穂生誕の地
1893年、島根県鹿足郡津和野生まれ。 日本の脳外科学者、俳人、新潟大学名誉教授として活躍。 俳号は、みづほ。 1917年、東京帝国大学医科大学卒業。 1922年、新潟医科大学助教授兼新潟医科大学附属医学専門部教授に就任。 日本初の脳神経外科を新潟大学で設立。 一説によると日本初の大脳半球切除手術(いわゆるロボトミー手術)に成功した。 中田みづほの俳号をもつホトトギス派の俳人で、高浜虚子と親交があった。
高岡兄弟生誕の地
高岡兄弟とは、高岡直吉と高岡熊雄。 高岡直吉は、1860年生まれ。 藩校養老館で学び、上京。 北海道に渡り、札幌農学校で学んだ。 以後、宮崎県知事、島根県知事、鹿児島県知事、門司市長を歴任。 大正時代、札幌市の初代市長に就任し、札幌市の発展に尽力。 高岡熊雄は、1871年生まれ。 津和野小学校高等科、山口中学校卒業。 北海道の札幌農学校卒業。 新渡戸稲造が教師として赴任以後、影響を受けた。 卒業後、学校に留まり研究を続けた。 農政学・農業経済学研究のためドイツに留学。 第3代北海道帝国大学総長に就任。 その他、農政諸問題の各種委員や様々な統計調査などの役職を歴任。 札幌名誉市民。
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