友ヶ島で考える永遠の課題「平和について」
戦争と聞いて、何を連想しますか。
例えば、広島県の原爆ドームや広島平和記念公園、長崎県の平和祈念像や平和公園等を思い浮かべるでしょう。
ただそれらはほんの一部であり、大阪では幾度もの大阪大空襲を乗り越え、市内に住んでいた子供たちは吹田市等に集団疎開、都島区の京橋駅前地下や旭区の淀川河川敷には千人塚が建立され、千人以上の遺体を供養。
大阪城周辺では陸軍施設・軍需工場が攻撃され、東住吉区では模擬原爆(原子爆弾の模擬)が投下されました。
そんな戦争当時を物語る場所の一つが和歌山県沖に浮かぶ友ヶ島。
友ヶ島と聞くとどことなく明るい印象を受けますが、島内には戦争当時の砲台跡や宿舎などの旧日本軍の関連施設が現存しています。
また山裾に掘られた防空壕らしき穴も点在し、ここで過ごした人々の思い「家に帰りたい・家族と再会したい」必死さ、この世に生まれてきた人間本来としての「生きていくこと」への命の尊さが伝わってきます。
なぜ、戦場に血と涙が流れるのでしょうか。
二度と同じ過ちを繰り返してはならない。
学校を中退・卒業したばかりの若者たちが犠牲となった戦争を今一度、考えてみませんか。