なにわが生んだ経営の神様・松下幸之助翁の足跡
まいど!
今回は、経営の神様として今も注目を浴びる松下幸之助翁の足跡をたどる。
「こけたら、立ちなはれ」。
松下幸之助の名言の一つである。
和歌山で生まれて中学校を卒業し、大阪へ出てきてから、電気関係の職についた。
大阪のシンボルタワーとして知られる二代目の通天閣建設にも携わった。
その後、独立して、大阪市東成区で創業し、大阪市福島区で起業した。
二股ソケットの開発で成功し、松下のもとで働いていた井植敏男も喜んだ。
井植は、淡路島出身。
松下から独立して三洋電機を創業、自転車の発電ランプの開発を行った。
ある日、松下は、拠点を移すと決めた。
しかし、大阪市から見た方角で北東にある、守口市や門真市、寝屋川市、枚方市などを含めた地域は、鬼門と言われ、町の開発が遅れていた。
松下はこう言った。
大阪市から見たら日本の国土は、ほとんどが鬼門や!
そして、門真市への移転を決めた。
常に松下は、非常識を常識へと変えた。
松下幸之助の斬新な才能で成功へと導いたのか、大阪と言う地域性や土地柄がそうさせたのか。
答えは誰もわからない。