薬のまち・道修町を散策!
まいどまいど! 大阪の難読地名の一つに数えられる道修町(どしょうまち)。 江戸時代の大阪は大坂と呼ばれ、全国から物資が集まる天下の台所としての賑わいを見せ、ぎょうさんの船が行き交い、ぎょうさんの船着き場があったことから船場と呼ばれ、北船場の一部である道修町には現在も日本を代表する大手の製薬会社や薬品会社の社屋や工場が密集してはりまんな。 江戸時代、清やオランダからの輸入薬を扱う薬種問屋が目立ちはじめ、やがて薬種中買仲間を結成。 海外から輸入してきた薬は一旦、道修町に集められ、全国に流通させていたとか。 1780年に京都の五條天神社より少名彦命の分霊を勧請し、創建・建立されたという少彦名神社は、薬の神様として親しまれ、マスコットキャラクターも誕生。 また、道修町としての歴史や製薬会社、薬品会社の発展を中心に保存、展示する資料館も開設された。 そんな道修町では、西洋医学が広まり、日本で初めての薬学専門学校が設立された他、製薬会社、薬品会社の社屋の一部は洋風の雰囲気を取り入れたレトロ・モダニズム建築も多く、ファンの間では注目を集めている。 道修町が面白くなる、そんなおでかけプランでおまっせ。
大日本住友製薬 本社
1897年に創業した大日本住友製薬の歴史と資料が保存、展示されている。 1897年、大阪製薬として創業。 東京で設立された半官半民の大日本製薬会社と合併し、社名を大日本製薬株式会社に改称した。 特に長井長義博士は、エフェドリンの発見者として知られ、日本薬学会初代会頭に就任した。
田辺三菱製薬 史料館
1678年に創業した田辺三菱製薬の歴史と資料を保存、展示。 1604年、初代田邊屋五兵衞の曽祖父・田邊屋又左衞門は、徳川家康より朱印状を交付され、フィリピンやタイ等、海外との貿易を盛んに行い、生薬等、海外の貴重な薬種を日本に輸入していた。 1678年、初代田邊屋五兵衞は、大阪市中央区土佐堀で店舗を開業し、田邊屋振出薬を製造販売。 店じるしは入り山に五兵衞の五の字を配したものであった。 1688年、たなべや薬を朝廷に納める等、朝廷の禁裏御用を勤めていたことから、黒川大和大掾藤原金永の称号を授かった。
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