前田正甫の銅像
富山県富山市本丸1-62越中富山藩の第2代藩主、1649年に初代藩主・前田利次の次男。
出生地は家老の近藤善右衛門の下屋敷、近藤宅で養育された。
父の後継として藩制の確立に努め、文武を奨励して有能な人材を招聘した。
金沢藩の支藩である富山藩は、越中国内の旨味の良い土地は金沢本藩がおさえていた為、財政は厳しかったとか。
正甫は新田開発や治水工事を行って生産力を向上させ、農業生産の他、殖産興業に努め、但馬からタタラ技術を導入して製鉄業を創始して藩財政を豊かにしようとした。
正甫は病弱であった故に薬学に興味を持ち、江戸城腹痛事件で名をあげたとされる富山の反魂丹などの製薬業を奨励して諸国に広め、越中売薬の基礎を作った。