日米和親条約締結の地
神奈川県横浜市中区海岸通1丁目 Unnamed Road1854年、江戸幕府と米国が締結した条約。
別名、神奈川条約。
日本側全権は林復斎(大学頭)、米国側全権は東インド艦隊司令長官のマシュー・ペリー。
日本は下田と箱館(現在の函館)を開港、鎖国体制は終焉を迎えた。
1842年、アヘン戦争で清国が敗北、江戸幕府は諸外国の船舶を帰国させることを目的に異国船打払令から薪水給与令に改めた。
1853年、フィルモア米大統領の命を受けたペリー提督は艦隊(黒船)を率いて日本に来航、大統領の開国・通商を求め、幕府に開国・通商を求めたが、幕府側が1年の猶予を求めたため一時退去。
再度、来航して江戸湾(東京湾)へ入港し、幕府は応接所を設置、日米和親条約を締結、調印。