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江戸時代 朝鮮国より国王の親書をもって来日する「朝鮮通信使」一行が往来した道。役人や文人、学者など多い時には500人ほどで組織され、往復で約1年もの歳月を費やしたとか。 行程は、ソウルから江戸まで約2000㎞にもなるのだが、野洲市から近江八幡市、彦根市を通るこの朝鮮人街道は、昼食や休憩場所として使われ、当時の町人はまちを挙げて歓迎し、文化交流がさかんに行われたといいます。
2016年3月12日
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江戸時代 朝鮮国より国王の親書をもって来日する「朝鮮通信使」一行が往来した道。役人や文人、学者など多い時には500人ほどで組織され、往復で約1年もの歳月を費やしたとか。
行程は、ソウルから江戸まで約2000㎞にもなるのだが、野洲市から近江八幡市、彦根市を通るこの朝鮮人街道は、昼食や休憩場所として使われ、当時の町人はまちを挙げて歓迎し、文化交流がさかんに行われたといいます。
2016年3月12日