徳富蘇峰先生と文豪のゆかりの地を巡る旅。
熊本徳富蘇峰先生と文豪のゆかりの地を巡る旅。
水俣市内には、徳富蘇峰先生を初め、文人墨客にゆかりの町です。 ぜひ、文化偉人の即席をめぐりませんか? 水俣駅→侍→薩摩街道(はぜのき館・公徳の碑)→江南橋→淵上毛錢生家跡→新酒屋跡→淇水文庫&第一小学校→高群逸枝墓所→淵上毛錢墓所→徳富蘇峰夫妻の墓所→旧北酒屋跡→徳富蘇峰・盧花生家→水俣駅
歴史をさかのぼると、古くから合戦の舞台になっています。
はぜのき館
行司のの式守伊之助氏が書かれた看板が出迎えるはぜのき館。 力士の髷、大銀杏にも使われる櫨。 宝歴の改革で肥後藩より奨励され、和蝋燭の製造などが盛んにされていました。 そうした歴史を伝える資料館となっています。
侍茶屋
もともと、薩摩街道にあった茶店の場所付近に熊本市内で熊本ラーメンで不動の人気を博した木下さんが、実家を改装して始めたラーメン屋さんです。 ザッ!熊本ラーメンの真髄をご堪能ください。
薩摩街道
侍茶屋から、市街地方向(江南橋)へと向かうと右手に坂が見えます。 坂を登ると昔ながらの道が現れ、タイムスリップした気がします。
陣の坂の碑
こちらは、陣の坂と言う場所で坂の途中にあります。
公徳の碑
蘇峰先生が、かつて薩摩街道を行く旅人が怪我をしないように村人が小石などを拾って道を整備していた公徳心を讃えて、後世に伝えるべく書いた石碑です。
松本内科クリニック付近に若くして亡くなった詩人の淵上毛錢先生の生家があったとされています。 享年35歳 脊椎カリエスでした。
美貴もなか
淵上毛錢先生の生家付近には、水俣の銘菓、美貴もなかさんがあり、水俣を訪れた方々がお土産にと立ち寄られます🎵。
村下孝蔵さんの祖父母が暮らした邸宅跡で、徳富家の分家跡とされています。
かつての市立図書館。 蘇峰先生が、書籍と合わせて町に寄贈されました。 戦時下には、3階の窓から敵機を監視していたとか。 今は、徳富蘇峰先生や弟君の盧花先生、父淇水氏のゆかりの品々が並ぶ記念館となっています。 かつては、父の名に因み、淇水文庫と言われてました。
水俣第一小学校
村下孝蔵さんの母校です🎵 校歌の作詩を徳富蘇峰先生が手掛けられ、作曲は「旅愁」でお馴染みの犬童球渓先生。 https://youtu.be/gbUmN4bL-hQ にて校歌の動画をどうぞ。
夫、橋本憲三氏が生まれた水俣に墓所があります。 教師を経験し、のちに女性史研究の権威となり、平塚らいてう氏と共に活動した方です。
石碑です
3号線側の入り口に石碑が建っているので分かりやすいです。
詩人、淵上毛錢先生の墓所です。 市役所上の水俣市内を眺める丘の上にあります。
詩碑
淵上毛錢先生の詩碑がかたわらにあります。 先生の詩より。 ~柱時計~ ぼくが死んでからでも 十二時がきたら十二鳴 るのかい 苦労するなあ まあいいや しつかり鳴っておくれ
墓所より
ご自分が生まれ育った陣内方面を望めます。夕日に照される町並みの風景は圧巻です。
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徳富蘇峰夫妻の墓所です。 夫妻揃って牧ノ内の高台に立っています。
案内板
敷地内には、教育委員会の皆さんが綺麗な看板を建ててくださってます。
スポット内のおすすめ
墓所からは、ご夫妻が愛した水俣市内が一望でき、お二人が見守ってくださっています。
村下家が営んでいた太陽映劇(現山下ビル)の脇道を抜けて3号線方向に左折する角辺りが、徳富家本家の北酒屋跡です。 ちょうど大塚医院横にあった田上皮膚科は、北酒屋跡に建ってました。
徳富蘇峰・盧花生家
現存している徳富家の邸宅で、徳富蘇峰・盧花のご両人が生まれた生家です🎵 実は本家は北酒屋。 こちらは、浜居倉と言って新酒屋とともに分家であります。