
飛行機で行く博多空港
福岡飛行機で行く博多空港
まいどまいど! 九州地方の玄関口の一つ、博多空港。 場所は福岡県福岡市内にあり、ぎょうさんの飛行機fが離着陸する。 空港内にはレストランや展望フロアなどがあり、中でも注目なのがラーメン滑走路。 ここでは博多名物ラーメンの専門のお店がずらりと並び、時には長い行列も。 ラーメンと明太子を頬張りつつ、空港内を闊歩。 お土産店や弁当を販売する専門店が立ち並び、どこも大盛況。 福岡など九州のお土産を探すにはめっちゃ便利なスポットでんねん。 また空港内には展望フロアが整備され、飛行機の離着陸する光景を近くで見学することもできまんねん。 迫力ある飛行機の離着陸は圧巻。
1945年に開港した空港。 1919年、大刀洗陸軍飛行場が開港。 1930年、名島水上飛行場が開港。 1936年、福岡第一飛行場が開港。 1940年、逓信省工務局により福岡航空無線標識局が設置。 1944年、帝国陸軍航空部隊の席田飛行場として建設。 1945年、沖縄に上陸した米軍の偵察が主任務とされた。 連合国軍の米軍が進駐。 連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)は日本側の乗員と機材による終戦連絡事務による国内定期航空(緑十字飛行)を許可。 また現在も一部が航空自衛隊春日基地 板付地区、在日米軍となっている。
福岡空港
飛行機のモニュメント。
福岡空港
飛行機の離着陸を展望フロアから実際に見学することができる。
ビエトロ自動販売機
ドレッシングやソースなどを製造・販売する「ピエトロ(福岡県福岡市中央区)」が運営する「ピエトロオリジナル自動販売機」。 自動販売機にはピエトロが製造するドレッシングやレトルトパスタソース、スープなどを販売
博多人形
福岡県の博多地区の伝統工芸品。 経済産業大臣指定伝統的工芸品にも。 発祥には諸説あり、陶師の中ノ子家、博多祇園山笠の小堀流山笠人形の流れを汲む白水家、瓦職人の正木宗七(惣七)の3説が有力。 歴史は古く、中世に瀬戸内海の豪族である越智・河野通継の四男・通成の子で、母方の「中ノ子」姓を名乗ったことを祖とする。 中ノ子長右衛門が下祇園町に住む。
博多人形
8代陶師中ノ子長右衛門 (安兵衛) が幕府の規制で長男・9代長右衛門 (長伝) に家業の陶師を継がせ、次男・長四郎(吉兵衛)に土産品向け土人形の制作をさせ、博多人形の祖である博多素焼人形が始まる。 制作した土産品向け土人形は広く博多の町に広がり、諸国貿易(全国流通)も盛んに行なわれた。 1890年の第3回内国勧業博覧会では出品した博多素焼人形が表彰され、この表彰状に「博多人形」と記された。
博多人形
白水家は小堀家の流れを汲み、京都の細工人形師であった。 博多櫛田神社境内に移住、山笠人形の制作を代々行った。 櫛田神社に移住して代々、山笠人形の独占制作を行ったが、明治維新と共に自然消滅、13代目善之助の時、山笠人形の制作を廃業。
福岡県福岡市内にある福岡空港内にあるラーメンの専門店街。 福岡の有名店だけでなく、期間限定の出店も。
福岡空港内にあるラーメン滑走路内にあるラーメン専門店。 店内はカウンター席とテーブル席がある。 本場博多の味にこだわる豚骨ラーメン専門店「博多ー幸舎」の創業者吉村幸助がプロデュース。 博多名物のとんこつスープをベースにしたラーメンと博多を代表する名物の明太子が乗ったご飯の定食も。
福岡空港内にあるお弁当や総菜の専門店。 「博多空弁」と題し、空弁に相応しい弁当や総菜が並ぶ。
筥崎八幡宮とも呼ばれ、京都府八幡市の石清水八幡宮、大分県宇佐市の宇佐神宮とともに三大八幡宮の一つに数えられる。 祭神は、応神天皇、神功皇后、玉依姫命。 1609年、黒田長政により建立した鳥居の柱は3つに切れている。 筥崎鳥居と称される。 1587年、石燈篭は千利休により寄進された。 箱崎浜一体は、かつて白砂青松とうたわれた美しい海岸線を誇っていたが、護岸整備され、現在では埠頭と港の倉庫などとなった。
本殿を目の前に
神功皇后が応神天皇を出産した際、胞衣を箱に入れて当地に納め、印として植えられたのが「筥松」と言われる。 「筥崎(箱崎)」の名称はこの胞衣を納めた箱に由来する。
境内
921年、八幡神の託宣があり、応神天皇・神功皇后・玉依姫命を祭神として筑前国穂波郡の大分宮を玄界灘に面した土地に移したのに始まる。 923年、現在地に遷座。 元寇の際、亀山上皇が「敵国降伏」を祈願し、神門に「敵国降伏」の扁額が掲げられた。 以来、海上交通・海外防護の神として信仰されている。 921年、藤原真材により創建。 戦国時代、戦火兵乱により荒廃。 1546年、大宰大弐大内義隆により再建。