科学分野の日本語の多くはここから生まれた~津山の旅~
岡山科学分野の日本語の多くはここから生まれた~津山の旅~
小京都と呼ばれる岡山県津山市には、日本三大平山城の津山城、古い街並みが残る城下町(城東地区)など、見所がたくさんあります。 しかし、科学分野の日本語(小腸、大腸、膵臓、腺、細胞、酸素、など)の多くは津山市から生まれたことをご存じでしょうか? 今回は、津山市の見所を押さえつつ、津山市の意外な歴史に触れられるプランをご紹介いたします。
江戸時代の津山には大勢の蘭学者が多数おりました。 中でも宇田川家はオランダから輸入した医学、植物学などに関する専門書を日本語に翻訳し、日本の科学の発展に大きく貢献しました。 そのときに初めて小腸、大腸、膵臓、腺、細胞、酸素などの言葉が誕生しました。 日本の科学が遅れをとらなかったのは、まさしく津山の蘭学者たちのお蔭です。 津山洋学資料館では、日本の科学の発展に貢献した蘭学者たち(宇田川家、箕作家)のことを詳細に知ることができます。 ※写真は宇田川家の銅像と津山洋学資料館
日本三大平山城である津山城は、織田信長の家臣で著名な森蘭丸の弟に当たる森忠政が築城しました。 築城当時は周囲の中小の豪族が森家に反抗していたため、忠政は彼らが反抗する意欲をなくすように、高い石垣を何重にも積み、100以上の櫓等の建造物を建てました。
入り組んだ高い石垣
津山城の石垣は何重にも積み重ねられており、高いうえに入り組んでいます。 迷路のような構造は今も健在です。
森家は城の南東側に通る出雲街道(姫路~松江)沿いに商人の街並みを割り当てました。 城東地区では商家など古い街並みが1キロ以上にも渡り多くが現存しています。
森家が京都から職人を呼び寄せ造園した大名庭園です。 当時は森家は城の安全を第一に考え、他藩からの使者が来訪した際は城内に入れず、衆楽園で面会しました。
津山のB級グルメといえば、やはりホルモンうどんです。 ホルモンをふんだんに入れたこまつの焼うどんは甘口で美味でした。