千葉・成田山新勝寺が大阪に!大阪の鬼門にも福来る
大阪千葉・成田山新勝寺が大阪に!大阪の鬼門にも福来る
まいどまいど! 日本全国、各地の都から見た北東部は鬼門といわれ、鬼が出入りすると恐れられてきた。 そもそも鬼門とは十二支の方角で丑と寅の間を指し、中国に伝わる風水や陰陽道の思想のなかに登場する言葉。 せやさかい、人々は「そないけったいな場所に行くことはできへん」として、大阪府内でも大阪市から見て北東部に位置する守口市、門真市、寝屋川市、枚方市などを含む地域は発展が遅れてきた歴史がおます。 そこに目を付けたのが「京阪乗る人おけいはん」のコマーシャルでおなじみの京阪電気鉄道。 京阪電気鉄道はまさに鬼門の方角に位置する守口市や門真市、寝屋川市、枚方市を走り抜け、京都までを結ぶ鉄道路線。 地域の人に少しでも「安心」を招こうと千葉県成田市に鎮座する成田山新勝寺の大阪別院を建立。 京阪電気鉄道の沿線は今、商業地や住宅街が増え、大阪でも1位、2位を争うほどの人気がある地域となっておます。 成田山新勝寺の大阪別院の最寄り駅「香里園」では住宅街を中心とした下町の雰囲気がおます。 その中に友呂岐神社が鎮座、古くから「お弓式」と呼ばれる神事が有名で無形民俗文化財に指定された歴史も持ってはりますねん。
正式には、成田山大阪別院明王院。 千葉県成田市にある成田山新勝寺の別院として知られ、本尊は不動明王。 1934年、創建。 北河内では古くから、大阪の鬼門に相当するため、宅地開発が進まなかった。 京阪電鉄は「この地域に鬼は出ない」ことを実証する為、成田山新勝寺に大阪別院の建立を依頼。 香里遊園地を枚方市に移転し、ひらかたパークとした。 跡地には沿線最高級の住宅街を建設。 現在でも、鬼門よけとして信仰されている。 交通安全祈願も行っており、人車一体の祈願を行った最初の寺として知られている。 「福は内、鬼は外」と言わず「福は内」のみを連呼する。 成田山には鬼がいないため追い払う必要がないため。
香里百年桜
1910年、京阪電鉄が大阪・天満橋と京都・五条間とを結ぶ路線を開業。 2010年、開業100周年を迎えた。 開業100周年を記念して、桜(ソメイヨシノ)の苗木を100本寄贈。 約100年前、境内は、香里遊園地(現在のひらかたパーク)の一部であったことが縁で、「香里百年桜」と名付けられた。
自然石「笑魂塚」。 1959年、関西演芸協会の創立10周年記念事業として建立。 本山である千葉県成田山新勝寺は、演芸と深いつながりをもっており、大阪別院でも信仰を集めている。
1923年、聖母女学院は大阪市中央区玉造にて創立。 1932年、寝屋川市に移転し、建設された。 国の登録有形文化財に指定。 設計はチェコの建築家アントニン・レーモンド氏。 旧帝国ホテルの設計などで知られるフランク・ロイド・ライト氏に師事し、主任製図工でもあった。 南仏をイメージし、日本最古のコンクリート打ち放しの体育室や聖堂などがある。
饅頭や大福を専門に販売する和菓子専門店「ちとせ本店」がある。 今回、ご紹介するのは、甘酸っぱいいちごがそのまま大福の中に入った「いちご大福」。 いちご大福といえば、全国和菓子博覧会で内閣総理大臣賞を受賞した大阪市旭区の松福堂正一が有名で、付近には「いちご大福」関連の和菓子専門店が集まっている。 ちとせ本店のいちご大福も、大きないちごがそのまま入った甘酸っぱさで、人気を集めている。 全国的に大阪は、たこ焼きやお好み焼きを代表とする“粉もん”のイメージが定着しているが、内閣総理大臣賞を受賞した新しい大阪名物の「いちご大福」も味わってみてはいかがでしょうか。
祭神は、應神天皇、菅原道眞、茨田連衿子。 別名、「鞆呂岐」とも呼ぶ。 祭神の応神天皇は大鞆別命。 鞆は天皇の立派な姿の形容、呂岐は神を表す語。 八幡神社として創建。 古代から皇室の荘園であった。 当地は仁徳天皇が茨田の屯倉を置き、皇室の別荘が営まれた所で、御所山と呼ばれた。
お弓式と鉢かづき姫
古くから「お弓式」と呼ばれる神事があり、無形民俗文化財に指定。 毎年成人の日の前日に、旧三井神社跡で行われていた。 かつては、村役や有力者の子弟が紋付・かみしも姿で弓を引いた。 現在は、地元から選ばれた20才の若者2名がが引く。 弓は交互に2本ずつ3回、計12本の矢を射る。 12本の矢は1年を意味し、矢の当たり具合で天候と豊凶を占う。