唯円ゆかりの地散歩
茨城唯円ゆかりの地散歩
唯円ゆかりの地散歩 歎異抄を読むとやはり親鸞に加えてそれを記した唯円が気になりゆかりの地を歩いてみた。唯円は常陸国河和田(現在の茨城県水戸市)の人。 親鸞は常陸国での20年間の布教活動後、京に戻っている。親鸞が去った後、入信した唯円は常陸国での親鸞の教えが乱れている事から本来の教えを知りたく京にいる親鸞に会いに何人かの人々と一緒に来たのが2人の出会いであったとの事。歎異抄の第二条が常陸国からやって来た人々への親鸞の言葉であるとされている。 その為にその地にあった唯円の報仏寺は廃寺とっている。徳川時代になって700メートル程東に行った先に今の報仏寺が建立されている。そこには唯円の伝説となっている十字の名号が保存されているという。 また、その寺から北に十キロほどのところに、唯円の兄、平太郎真仏の寺と言われている真仏寺がある。
唯円道場跡伝承地と言われている場所であり水戸偕楽園から西にさほど遠くないところにある。
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親鸞は常陸国での20年間の布教活動後、京に戻っている。親鸞が去った後、入信した唯円は常陸国での親鸞の教えが乱れている事から本来の教えを知りたく京にいる親鸞に会いに何人かの人々と一緒に来たのが2人の出会いであったとの事。 その為にその地にあった唯円の報仏寺は廃寺とっている。徳川時代になって700メートル程東に行った先に今の報仏寺が建立されている。そこには唯円の伝説となっている十字の名号が保存されているという。
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唯円が関東からこの地を訪れ、親鸞にお会いできたのはこの場所あたりのようだ。
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唯円もこの地に立ち天に上る煙を見上げたのかもしれない。
正応2年2月6日68歳で大和下市で亡くなられた、と「大谷遺跡録」にあるとの事。そして、ここ大和下市にある立興時に唯円の墓が伝わっている。 晩年は大和国吉野で布教していたとの事。
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あの十字の印を斬ったとされる剣が此処にある。