太閤秀吉の歩んできた道・名古屋駅西
愛知太閤秀吉の歩んできた道・名古屋駅西
まいどまいど! 大阪府大阪市の大阪城や京都府京都市の伏見桃山城に代表されるように関西地方と縁の深い豊臣秀吉は愛知県生まれ。 愛知県内では最大のターミナル駅として知られる名古屋駅を西に行くと豊臣秀吉とゆかりのある中村公園までの通称・出世街道が見えてきますねん。 出世街道にはモニュメントとして秀吉が生まれてから幼少期、そして大阪城で天下統一を成し遂げるまでの生涯が描かれ、じっくりと眺めつつ次に向かっていきまひょ。 さて、駅までは昭和39年の当時の写真が設置され、目の前の景色と見比べる。 名古屋駅は当初、現在地とは違った場所に開業していたといい、移転し、新幹線も開業し、名古屋駅やその周辺は急激に変わっていったとか。 また、駅西を奥へと進むと、昔は遊郭があったといい、今はその名残も少なくなってきてはいますねんけど、そんな駅西には誰でも気軽に味わうことのできる名古屋名物の居酒屋がぎょうさんおまっせ。
でら旨串のでら旨 なごやき鳥・豚をはじめ、串盛りでは、おまかせ5種盛り 焼・揚やどてかつなどがあり、名古屋名物をはじめ、焼鳥を中心に味わうことができる。
名古屋名物
でら旨串のでら旨 なごやき鳥・豚をはじめ、串盛りでは、おまかせ5種盛り 焼・揚やどてかつなどがあり、名古屋名物をはじめ、焼鳥を中心に味わうことができる。
1964年(昭和39年)当時の街並みを撮影した写真が看板に添付され、現在の街並みと比較することができる。 1886年、名古屋駅が建設され、当時は南にある笹島付近に開業した。 駅周辺は田園風景が広がり、自然豊かであったとか。 第二次世界大戦後、闇市やバラックが立ち並び雑然としていたとか。 1964年に新幹線が開通し、街が急激に発展した。 名古屋駅の西側は「駅西」または「駅裏」と呼ばれている。
1937年、笹島に位置していた名古屋駅が現在地に移転し、同時に商店街を形成。 周辺には大正時代からの歴史を持つ中村遊廓があり、公許の娼家が集まる遊廓があった。 古くは、徳川家康による飛田屋町廓や徳川宗春による西小路遊廓、富士見原遊廓、葛町遊廓があった。 名古屋で活躍した私娼・百花。 玉屋町の宿屋渡世笹野屋庄兵衛は上願し、北野新地に役者芸人の寄宿を許可。 1874年、名古屋の公娼が誕生。 1875年、大須観音の堂裏、堀川以東の5箇所に移転させ、一廓を「旭廓」と称する。 1876年、新地に女紅場(女性の習い事の施設)を新設。 全盛期、娼家173軒、娼妓1618人を数えた。
中村
1923年、中村に移転し、日吉・寿町・大門・羽衣・賑の五町街または五丁町とし、「中村遊廓」または「中村旭廓」として開業。 1937年、日本最大級の遊郭へと成長し、京都嶋原から専門家を招き、花魁道中の催しを挙行。 当時、「中村は遊興代の高いことに於て日本一」とも云われたが、日中戦争により規模は縮小。 1958年、売春防止法の施行により、衰退。
総本社は三重県伊勢市の豊受大神宮。 祭神は、豊受大神。
2019年、名古屋駅から中村公園へと続く一般道は太閤秀吉功路人生大出世夢街道と題して豊臣秀吉が生まれてから天下統一を成し遂げるまでの生涯「大出世ストーリー」をモチーフにしたモニュメントを設置。 当地は豊臣秀吉や加藤清正の生誕地として知られている、 コンセプトは「出世・挑戦・成功したい人を日本一応援するロード」 江戸時代に流行した「絵本太閤記」の挿絵をもとにしたレリーフ。 石の台座は名古屋城の石垣がモデルとなっている。