「とやま」で「きときと」
富山「とやま」で「きときと」
まいどまいど! 日本海側に位置し、富山湾という自然豊かな環境に恵まれ、シロエビやホタルイカなどが名物として有名な富山県。 富山県の玄関口にあたる富山市内には西日本旅客鉄道、北陸新幹線などのターミナル・富山駅があり、全国各地からぎょうさんの観光客が訪れはりまんねん。 きときと輝くお濠が特徴の富山城址。 現在は城址公園として一般開放され、自由に散策することができまっせ。 城址公園の中心部には富山城。 最上階は展望台として整備され、富山市街地を一望することができる。 ほんでまた近くには、きときと輝く美術館があり、幻想的な世界へ。 そして何よりも富山の名物といえば、富山ブラック。 富山ブラックとは富山県富山市を中心に愛されている郷土料理の一つで濃口しょうゆを煮詰めた漆黒のスープが特徴。 いっぺん味見をしてみる価値がおまっせ。
別名、浮城(うきしろ)、安住城(あずみじょう)。 旧来、富山では北陸街道と飛騨街道が交差する越中中央の要衝として栄え、1500年代、富山城は越中東部への進出を図る神保長職により築城。 神通川を城の防御に利用したため、水に浮いたように見え、「浮城」の異名をとったとか。 瀧廉太郎の「荒城の月」の着想の元になった城の一つとも。 現在、城跡は「富山城址公園」となっている。 続日本100名城(134番)に選定された。
最上階からの眺望
富山市街を一望することができる。
最上階からの眺望
富山市街を一望することができる。
最上階からの眺望
富山市街を一望することができる。
最上階からの眺望
富山市街を一望することができる。
越中富山藩の第2代藩主、1649年に初代藩主・前田利次の次男。 出生地は家老の近藤善右衛門の下屋敷、近藤宅で養育された。 父の後継として藩制の確立に努め、文武を奨励して有能な人材を招聘した。 金沢藩の支藩である富山藩は、越中国内の旨味の良い土地は金沢本藩がおさえていた為、財政は厳しかったとか。 正甫は新田開発や治水工事を行って生産力を向上させ、農業生産の他、殖産興業に努め、但馬からタタラ技術を導入して製鉄業を創始して藩財政を豊かにしようとした。 正甫は病弱であった故に薬学に興味を持ち、江戸城腹痛事件で名をあげたとされる富山の反魂丹などの製薬業を奨励して諸国に広め、越中売薬の基礎を作った。
富山県富山市の富山城址公園内にある美術館。 1961年、実業者の佐藤助九郎らによる佐藤家などによって財団法人佐藤美術館が設立され、富山城址内に佐藤美術館が開館した。 元々、佐藤家の住居の一部であった総桧造りの書院座敷や茶室2席が寄贈され、美術館の一部として移築された。 収蔵品の大部分は佐藤家から寄贈されたもので、茶道具類、古陶磁、日本画、墨蹟など1000点以上に及ぶ。
江戸時代、「富山の薬」は全国的に知られるようになり、現在でも製薬の伝統を引き継ぐ。 ここでは、「越中富山の薬売り」の歴史、資料、当時の薬売りが使用していた道具や薬のパッケージを展示している。
試飲してみよう
その他、富山のくすりの展示販売や、薬膳の食材を配合した飴やお菓子なども販売。
1985年、富山市は富山市民大学ガラス工芸コースを開設。 1991年、全国唯一の公立ガラス作家養成専門機関として、富山市立富山ガラス造形研究所を開設。 1994年、富山ガラス工房が開設。 2015年、TOYAMAキラリ内に富山市ガラス美術館が開館した。 「コレクション展」「グラス・アート・パサージュ」「グラス・アート・ガーデン」などの常設展示。 日本を代表するガラス作家・藤田喬平やハワード・ベン・トレ、冨樫葉子などの現代ガラス作家の作品をコレクション展示。
図書館と美術館が一か所に。
ガラス美術館のシンボル 「グラス・アート・ガーデン(チフーリ・エクスペリエンス)」は、アメリカの現代ガラス美術作家の巨匠デイル・チフーリの工房「チフーリ・スタジオ」が制作したインスタレーション(空間美術)を常設展示。
富山県富山市と岐阜県高山市を結ぶ旧街道。 富山市内中心部から神通川沿いに南下し、岐阜県境の猪谷にいたる。 猪谷付近で宮川の渓谷に沿って古川盆地を経て高山に達する越中西街道と、高原川の渓谷に沿って船津、古川盆地を経て高山に達する越中東街道に分かれる。 塩、海産物、雑貨などを運搬していたとか。 長野県の木曾谷や松本盆地と岐阜県の飛騨地方とを結ぶ交通路は、木曾街道、野麦街道ともいわれる。
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富山ブラックとは富山県富山市を中心に愛されている郷土料理の一つで濃口しょうゆを煮詰めた漆黒のスープが特徴。 元々は、1950年代に富山県富山市内で富山大空襲の復興事業に従事していた食べ盛りな若者の昼食として、また汗をかく肉体労働者のための塩分補給として、醤油を濃くしたスープのラーメンを作ったのが起源である。 今回はそんな富山ブラックの元祖のお店に入ってみた。
店内の雰囲気
建物はひっそりと、店内は昔ながらの雰囲気が色濃く残っている。 また、これまでに多くの有名人・著名人が訪れた人気の老舗として知られ、店内の壁面には多くのサイン色紙が飾られていた。
中華そば
メインメニューはシンプルに中華そばのみで、サイドメニューにはライスや生玉子などがある。 今回は中華そばと生玉子をトッピング。
中華そば
しっかりとした麺と濃い味が病みつきになるほどの美味しさで、店内はすぐに満席となった。
富山市の中心部にあり、富山県内では最大の繁華街「総曲輪通り」「中央通り」「西町」として知られ、約400店舗が軒を連ねている。 当地はかつて富山城の外濠(曲輪)であったが、明治時代に濠を埋め立て、浄土真宗の東西別院が建立された。 以後、参詣道として発展し現在の姿になったという。
江戸時代、金岡家は金岡薬店を営み、現在は復元、資料館として保存されている。 家祖の金剛寺屋又右衛門の長男金岡又左衛門は、県議会議長、衆議院議員を歴任。 北陸電力株式会社の前身にあたる大久保発電所、水力発電所を建設し、北陸で初めてとなる電灯を開設した。 北陸で初めてとなる電鉄工事を完成させ、富山軌道株式会社の前身を築いた。 常願寺川の治水につとめ、砂防工事を国営事業に組み入れる道を開いた。 以降、第一薬品株式会社、富山合同無尽株式会社(富山第一銀行)、テイカ製薬株式会社、富山女子短期大学、富山相互銀行、富銀奨学財団、富山計算センター(インテック)、富山国際大学、日本薬学会頭などに携わった。
館内
主屋は明治時代の商家、新屋は総檜造り。 館内には、当時の薬の製造に使用された道具、薬の原料、麝香鹿などが展示。
富山の薬
紙風船をお土産に。