
なんばで「肉まん・豚まん」があるとき!
大阪なんばで「肉まん・豚まん」があるとき!
まいどまいど! 日本国内で本格的な中華料理っちゅうたら、神奈川県横浜市にある横浜中華街、長崎県長崎市にある長崎新地中華街、そして関西地域では兵庫県神戸市にある神戸南京町が有名でんねんけど、大阪でも本格的な中華の味を堪能できるお店が難波にありまんねん。 場所は、大阪を代表する繁華街の一つ「ミナミ」の中心地。 周辺には南海電車・近畿日本鉄道・阪神電気鉄道、地下鉄などがひしめく難波駅と戎橋筋・心斎橋・道頓堀・宗右衛門町などに囲まれ、ぎょうさんの観光客が行き来してはりまんねん。 ここに関西地域のコマーシャル「豚まん(肉まん)があるとき!ないとき・・・」でおなじみの蓬莱の本店がありまんねん。 1945年、台湾・嘉義出身の羅邦強、郭文沢、蔡水池、頼来陣とともに「蓬莱食堂」を創立したといい、「蓬莱角店(551蓬莱)」、頼来陣が「蓬莱中店(蓬莱本館)」、蔡水池が「蓬莱別館」として独立・暖簾分け。 今でも地元・大阪で愛される名店になりました。 その他、地下街・なんばウォークでショッピングを楽しみ、織田作之助ゆかりの自由軒でライスカレーを味わうのもおすすめ。 難波で楽しむグルメたびにレッツゴー!
2007年、開業。 最大の特徴は日本初のビル壁面設置型フリーフォール「ヤバフォ」である。 地上12階・地下2階建て。 アミューズメントフロア、ゴルフフロア、スパフロア、飲食フロアなどから構成される。 ヤバフォは、地上74mの高さから、最大秒速22mで垂直落下する6人乗りアトラクション。
別名、虹のまちなんばウォーク。 イメージは、くじら。 西日本旅客鉄道(JR西日本)、近畿日本鉄道、南海電鉄、地下鉄などの各駅に隣接する。 地下街では2本の通路が東西に長く、西から一番街、二番街、三番街と分かれる。 主に、飲食やファッション、雑貨などがあり、広場も設置。
くじら
広場では、地面から頭と尻尾を出したくじらが出迎えてくれる。
南海難波駅の北側に位置するなんばウォークでは多くのグルメ、ファッションのお店がずらり。 しばらく歩いてみると、もう夕方。 何か、食べて帰ろうかな?と悩んでいたとき、長い行列を見つけた。 それが、ここのお店。
大阪トンテキ
トンテキは、定食や丼で楽しむことができ、定食の場合は、ごはんのお替り自由。 にんにくも好みで追加することができ、満足のおいしさを楽しむことができる。
1978年、群馬県高崎市でカメラ専門の量販安売店として開業。
1912年、ミナミの大火が発生し、焼失。 山川吉太郎氏は、一大娯楽センター楽天地を建設。 夜はイルミネーションで彩られ、「ハイカラ」として注目を浴びた。 館内の大劇場では主に外国の映画を上映、小劇場「朝陽殿」は演芸場、芝居を上映。 地下ではメリーゴーランド、ローラースケート場、水族館など。 関東大震災が発生し、経営不振となり、閉鎖。
小説家の織田作之助さんが愛した味といえば、ライスカレー。 ライスカレーとは、世間一般のカレーライスとは違い、ご飯とカレーを混ぜ合わせたのもので、織田作之助さんは、このライスカレーを食べながら、「夫婦善哉」という小説を書き上げたそう。 以来、大阪の味として親しまれ、平成へと時代が変わった今でも創業当時の変わらぬ味を提供し続けているとか。
ライスカレー
1910年、大阪で初めてとなる西洋料理店として創業。 ライスカレーの上に、生卵が乗っていて、その上から、ソースをかける。 大阪ではカレーライスでもライスカレーでも、食べるときには、卵を乗せ、ソースをかける。
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大阪名物の一つ「豚まん・肉まん」を中心に販売する中華料理の飲食店・販売店。 1945年、台湾・嘉義出身の羅邦強は岡山にあった軍需工場や農産品販売店などで働いていたが、郭文沢、蔡水池、頼来陣とともに「蓬莱食堂」を創立。 「蓬莱」という名の由来は俗界を離れた他界・仙境の桃源郷。 当初、和食が中心であったが神戸では天津包子(中国天津名物の肉まん)が人気であったと聞き、豚まんの販売を始めた。 1962年、付近で火災が発生し、これを機に羅邦強が「蓬莱角店(551蓬莱)」、頼来陣が「蓬莱中店(蓬莱本館)」、蔡水池が「蓬莱別館」として独立・暖簾分け。
中華料理
ここでは主力商品である豚まんなどの店頭販売の他、直営のレストランでは豚まんはもちろん、焼売、焼餃子、ラーメン、酢豚など本格的な中華料理を味わうことができる。
大阪名物の一つ「豚まん・肉まん」を中心に販売する中華料理の飲食店・販売店。 1945年、台湾・嘉義出身の羅邦強は岡山にあった軍需工場や農産品販売店などで働いていたが、郭文沢、蔡水池、頼来陣とともに「蓬莱食堂」を創立。 「蓬莱」という名の由来は俗界を離れた他界・仙境の桃源郷。 当初、和食が中心であったが神戸では天津包子(中国天津名物の肉まん)が人気であったと聞き、豚まんの販売開始。 1962年、付近で火災が発生し、これを機に羅邦強が「蓬莱角店(551蓬莱)」、頼来陣が「蓬莱中店(蓬莱本館)」、蔡水池が「蓬莱別館」として独立・暖簾分け。
中華料理
551蓬莱の由来は店の電話番号が「551」であったことに因み、社長が愛好していた煙草「State Express 555」をヒントに、会社の目標「味もサービスも、ここがいちばんを目指そう!」という意味から。 主力商品である豚まんなどの店頭販売の他、直営のレストランでは豚まんはもちろん、焼売、焼餃子、ラーメン、ちまきなど本格的な中華料理を味わうことができる。
豚まんがあるとき!
テレビコマーシャルなどでおなじみの551の肉まん・豚まんを味わう。
「りくろーおじさんの店」を運営するリクローはチーズケーキを中心とする洋菓子を製造販売。 1956年、創業者の西村陸郎は大阪市西成区で菓子店「千鳥屋」を設立。 1991年、屋号「千鳥屋」を「西村千鳥屋」に、その後「リクロー」に改称。 日本版チーズケーキ・チーズスフレタイプの「焼きたてチーズケーキ」が主力商品。 チーズケーキはデンマークの工場から直輸入したクリームチーズを使用しているといい、レーズンも散りばめられている。
南海難波駅前の旧南街会館の跡地に建つ東宝南街ビルで、地下1階から11階建で他に、TOHOシネマズも入居する。 主に、ファッションや家具・雑貨・メガネ・宝石などの他に、食品やレストラン、通信販売を行っている。 1960年、日本で初めて「クレジット」という名称を使用した「クレジット・カード」を発行。
1932年、地上7階建の歌舞伎劇場「大阪歌舞伎座」として竣工。 座席数、舞台設備では東京の歌舞伎座を上回り、「上方歌舞伎の殿堂」とも呼ばれた。 初代中村鴈治郎などの興行が行われた。 新歌舞伎座では歌舞伎だけでなく、映画スターや歌手を中心に据えた「座長芝居」「歌手芝居」を月替わりで公演する興行も行われた。 「関西で歌舞伎を育てる会」(関西・歌舞伎を愛する会)結成、三代目中村鴈治郎(四代目坂田藤十郎)の襲名を機に、道頓堀の中座でも定期的な興行が行なわれるようになった。 新歌舞伎座の前身にあたる大坂歌舞伎座。
「なんば大映」跡地に移転まで
1933年、アイススケートリンクが設置。 1938年、 地階に映画館「歌舞伎座地下劇場」が設置されるも1956年に演芸場・歌舞伎地下演芸場に転換。 1945年、占領軍向け特殊慰安所(キャバレー)が設置。 1958年、「新国劇サヨナラ公演」をもって大阪歌舞伎座は廃座、千日デパートビルに改装するも1972年に火災が発生して焼失し、1980年に取り壊された。
DOCOMOMO JAPAN選定 日本におけるモダン・ムーブメントの建築に選定
新歌舞伎座は「なんば大映」跡地に移転して建設され、開場。 こけら落とし興行は尾上菊五郎劇団、市川壽海・中村富十郎(4世)。 2009年、老朽化を理由に閉鎖。 2012年、DOCOMOMO JAPAN選定 日本におけるモダン・ムーブメントの建築に選定。 2015年、解体され、複合施設「ホテルロイヤルクラシック大阪」が開業。 建築設計は隈研吾。
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