都島と与謝蕪村
大阪都島と与謝蕪村
まいどまいど! 江戸時代に俳人や画家として活躍した与謝蕪村。 生まれは現在の大阪市都島区にあたり、生誕地にはその足跡を示す石碑「生誕の地」が建立されてまんねん。 また、生誕の地付近にある蕪村公園では市民の憩いの場となっているだけでなく、与謝蕪村に関する作品も並べられてまんねん。 学校の教科書や地域の博物館などで1度や2度は見聞きしたであろう与謝蕪村という人物。 ここでは蕪村の歩んできた障害の一部を見ることができまっせ。 ほんでまた、与謝蕪村に因む蕪村通り商店街があり、飲食店や雑貨店などが立ち並ぶ。 さらに2019年にはJR西日本の「おおさか東線」が開通し、新たに駅「城北公園通」が開業し、最寄り駅に。 城北公園通駅の西側には与謝蕪村に因んだ「蕪村口」が設けられ、ここでも与謝蕪村の肖像が飾られてまんねん。 都島区の北部には淀川、西側には大川、、南側には寝屋川、第二寝屋川が流れ、特に大川沿いは桜の名所としても知られ、春になると桜が満開になり見物客でにぎわう一面も。
大阪市都島区は与謝蕪村の生誕地として知られ、与謝蕪村に因んだ商店街がある。 毎年、「蕪村おどり」が披露される。
園内には滑り台やシーソーなどが設置され、市民の憩いの場として親しまれている。 また、園内には廃止されたトロリーバスが設置され、現在は集会所として利用されている。 かつて大阪市交通局が運営していた大阪市営トロリーバス無軌条電車線(トロリーバス)は、1953年に営業開始。 終戦直後、ガソリンが不足していたため、路面電車よりも安く建設できるトロリーバス路線が開設されたが、近年のモータリゼーションにより、乗用車が増えてきたことから1970年に全廃された。
与謝蕪村の生誕地。 周辺は、1716年当時の面影はなく石碑のみが建立。
大川沿い、桜之宮公園の北側に隣接する蕪村公園。 大阪が生んだ与謝蕪村をもっと広く知ってもらおうと2009年に整備。 園内には与謝蕪村が歩んできた生涯や作品が展示され、無料で楽しむことができる。 また園内ではグラウンドがあり、スポーツを楽しむことができる。
1716年、大阪市都島区生まれ。 江戸時代、俳人、画家として活躍。 2009年、与謝蕪村を顕彰して、碑が建立。 公園内には、与謝蕪村の生涯を紹介する写真パネルが展示。
保存樹木。 1873年、日本に渡来した北米大陸南東部原産のモクレン科の常緑樹でその樹は、東京にあると言う。 1570年、石山本願寺と織田信長による石山合戦が勃発した。 織田信長は石山本願寺の周辺に付城を築いて包囲網を敷いた。 本願寺は、高津・丸山・ひろ芝・正山・森口表・大海・飯満・中間村・鴫野・野江・楼の岸・勝曼・木津・難波など51か所にも及ぶ場所で出城を構えた。 毛馬城は、この石山方の出城の1つ、飯満(けま)は「毛馬」と推測され、毛馬城の起源とも。 1578年、信長に対して叛旗を翻した伊丹城の荒木村重を攻撃するため、織田方が塚口郷・毛馬村・倉橋郷・原田郡などに付城を築城。
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産土神社境内にある碑。 かつて、この周辺は、善源寺荘と呼ばれていた。 当地にあった荘園は、源頼光によって支配されていた。 源頼光や頼光四天王は、大江山・酒呑童子退治や、京都・一条戻り橋「髭切りの太刀」で、鬼の腕を切り落とした逸話で有名である。 990年代、源頼光は当地に「八幡大神」を祀って産土神社を創建。 樟を植樹した。 荘園を管理していた平安時代の武将・渡辺綱(源綱とも言う)が、馬を樟に繋いだことから、この呼称が今に伝わる。 渡辺綱とは、渡辺氏の祖とされている。
1168年、後白河法皇が母待賢門院を偲んで建立したという。 一時期、母恩寺は広大な寺域を誇った。 母恩寺から500m先にこの「ぬえ塚」がある。 ここも母恩寺の境内であったという。
かつて当地は、屈曲する淀川本流(現在の大川)の左岸に当たり、洪水に度々見舞われたと言う。 後白河法皇が当地へ行幸した際、当地の守護神として神社を置くよう命じた。 1160年、毛馬や友渕など8村が協力し、十五社神社を建立。 当初の社名は天照大神のほか15神を合祀したことによる。 1943年、都島神社と改称。 1949年、大阪大空襲によって旧本殿などは焼失し、再建した。 1304年、境内にある石造三重宝篋印塔を建立した。 現在では、大阪市内最古の石造遺物として、大阪府の有形文化財に指定。
桜の名所としても知られる毛馬桜之宮公園のすぐそばには、淀川から分流した大川が流れている。 その公園の一角に、石碑が立っている。 1895年、この場所に、桜の宮水源地が作られた場所である。 これは、横浜や函館、長崎に次いで、全国で四番目の近代水道として知られていた。 太閤豊臣秀吉時代に、下水道などが整備された。 1913年、付近に柴島水源地の完成とともに閉鎖された。
1168年、後白河法皇が母待賢門院を偲んで建立したという。 一時期、母恩寺は広大な寺域を誇った。 母恩寺から500m先にこの「ぬえ嫁」がある。 ここも母恩寺の境内であったという。 1150年、平安京御所で近衛天皇が毎夜怪物「ぬえ」に悩まされる事件が発生した。 源頼政によって解決した。 人々はその怪物の姿に恐れ、舟に乗せて淀川に流したところ当地に漂着したので、里人が葬ったその跡という。
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大阪市都島区にある商店街。 付近にある野江国道筋商店街、旭国道筋商店街、旭国道筋商店街と連なっている。 駅前なので、通勤客・通学客でにぎわっている。 主に、飲食店や雑貨店などがある。