東京・北千住でとことん散策!
東京東京・北千住でとことん散策!
まいどまいど! 今回は、東京都の足立区にあります北千住をぶらりと散歩しまひょ。 ここには、JR東日本や東京地下鉄、東武鉄道、首都圏新都市鉄道などが集まる一大ターミナル駅として知られ、駅周辺には、ルミネやマルイなどの大型商業施設だけやなく、昔ながらの趣を今に伝える千住宿場町がおまして、宿場町から発展した商店街が今も活気にあふれてはりまんな。 何よりも美味しいご飯が多い。 ここでは、地元でも人気の麺のお店、本格的なインド料理が楽しめるお店、有名人もお忍びで訪れる隠れ家的な居酒屋等々、個性あふれるお店が勢ぞろい。 さて、今晩はどこのお店に入ろうか、と迷うでホンマ。 ほんでまた、美味しいお店の紹介以外にも、千住の由来ともなった場所もめぐっていきまひょ。 千住と書いて、「せんじゅ」と読む、そのちょっとした難読地名の一つとしても知られる北千住界隈では、森鷗外さんのゆかりの地である他、昭和時代の漫才ブームで人気漫才氏として一世を風靡したツービートのビートたけし(北野武)さんの出身地。 その他、小説の舞台となったり、ドラマなどのロケが行われているなど、全国的に有名な場所の一つ、北千住を歩きまひょ!
1689年、「奥の細道」紀行文によれば、松尾芭蕉は船で隅田川を北上し千住の地に上陸し、千住より奥州へと旅した。矢立初めの句は「行く春や 鳥啼 魚の目は泪」。 1820年、東京都荒川区南千住の素盞雄神社境内には句碑が建立された。 また、「奥の細道サミット」が開催された。
北千住と松尾芭蕉
荒川区の南千住駅西口駅前広場には「芭蕉の銅像」が建立された。 足立区千住橋戸町には「千住宿奥の細道プチテラス」が完成し、「矢立初の芭蕉像」が建立された。 足立区にある北千住駅構内では松尾芭蕉の「奥の細道」にまつわる顔出しパネルが設置されている。
東京都足立区にある複合型商業施設。
1924年に創業以来、鮮度にこだわったシステムで新鮮な海鮮を味わうことができるのは築地玉寿司。 ここでは、江戸前の寿司はもちろん、刺身や丼も味わうことができるが、特に「末広手巻」は築地玉寿司で1971年に銀座で登場して以来、元祖とも言われ、注目を集めている。
築地海鮮丼
そんななかでおすすめなのが、築地海鮮丼。 いろんなネタが一つになって、気軽に楽しむことができる。
1925年、水産物・加工品を扱う中与商店創業として創業。 魚と食にこだわった老舗の一つとして知られ、今回は、おさかな弁当 さば塩焼きとして味わう。 また、当店では、さば塩焼き以外にも様々なお弁当が揃っているだけでなく、刺身や寿司など品揃えも豊富。
総菜、弁当などを中心に販売する。 1922年、滋賀県大津市湖南町にて「豆藤商店」として創業。 家庭の味を提供する老舗として人気を集めている。
千住ミルディスI番館内にある複合型商業施設。
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つけめんのスープには、魚出汁と2日間かけて炊いたというゲンコツ、鶏ガラのスープが一つになった。 麺にはうどん用粉とパン用粉がブレンドされているといい、スープの濃厚な味をさらに引き出している。 味玉つけねん、辛つけめん、ネギつけめん、野菜つけめんなどがあり、今回はおすすめの特性つけめんをいただく。 トッピングはたっぷりに、冷めても美味しいが、焼き石でさらに熱さを調節することができる満足の一杯。
1984年に創業以来、新鮮な海鮮を味わうことができるお店として注目を集めている。 ここではテイクアウト専門店の一つとして知られ、刺身や江戸前寿司、創作寿司、本鮪ステーキ・漬け鮪丼など海鮮料理を中心に品揃えが豊富。 なかでも、炙りサーモンにぎりと、ほうぼうにぎりがおすすめ。
純鶏名古屋コーチンを使用した親子丼や鶏かつ丼に代表される三和は発祥である尾張を中心に定評があり、今回は弁当で味わうことにした。 創業者である伊藤和四五郎氏は1863年生まれ。 愛知県を中心に人気を集め、東京に進出したという。 鶏の本場・尾張で育った本格的な名古屋コーチンを味わう。
森鴎外とは、小説家、評論家、翻訳家、陸軍軍医(軍医総監=中将相当)、官僚(高等官一等)。 本名、森 林太郎。 島根県津和野町出身で、東京大学医学部を卒業。 1879年、父・静男が南足立郡医となり、千住に転居。 鴎外も移住し、橘井堂医院を開院して医療活動に従事。 三宅坂の東京陸軍病院に転勤し、人力車で通勤。 陸軍軍医となり、陸軍省派遣留学生としてドイツで過ごし、帰国後に小説や翻訳、文芸雑誌等を創刊。 結婚後、根岸に移住、両親も千駄木に移住。 日清戦争出征や福岡県北九州市の小倉への転勤後も、執筆した。 「鴎外」という号は、隅田川の白髭橋付近にあった「鴎の渡しの外」のことで、千住を意味する。
本場・インドから来日したという3人のシェフが作るカレーは評判で、ディナータイムでは世界各国の美味しいおつまみも味わえるという。
メニュー
本格的なカレーやナン以外に海鮮料理やピザ、おでん、だし巻き卵、グラタン、焼きそば、たこ焼き等、種類も豊富。 ランチタイムでは、ほうれん草チキンカレーセット、バターチキンカレーセット、チーズナンセット、カレー2種のナンセット、タンドリチキンカレーライスセットで、ナン又はライスを選び、サラダとドリンクがプラス。 ドリンクは、ウーロン茶や緑茶、ホットコーヒー、アイスコーヒー、マンゴージュース等。
カレー2種のナンセット
今回は、チキンとシーフードを楽しみたいとカレー2種のナンセットにした。 できたてアツアツのナンを手でちぎりながら、カレーに浸して食べる絶品料理。 ナンは食べ放題。
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夏の暑い時期などに食されてきたうなぎは、国民的人気食材の一つ。 うなぎは高級で食べる機会も少ないことと思いますが、本格備長炭で調理された本格的なうなぎの丼「うな丼」が、500円というワインコインから楽しむことができる。
うな丼ダブル
うな丼ダブルは、うなぎがうな丼の2倍で1000円と破格。 その他、うな重、うまき、うなとろなどがあり、うなぎを中心に楽しむことができる。
旧称、牛田氷川神社。 1307年、千葉氏によって、牛田(千住曙町)に千葉山西行院とともに創建。 かつて、牛田(千住曙町)に鎮座していたが、江戸時代に水害を避けるため現在地に遷座。 祭神は、素盞嗚尊。 旧社殿は、足立区の有形文化財(建造物)に登録。 毎年9月には例祭式が催され、神輿を担ぐ。 1993年、千住で居酒屋を営む氷見富次さんらが中心となり、7つのご神体を揃えて千寿七福神巡りが開始された。 ここでは、大黒天を奉祀している。 1952年、地元にある小学校の夏季休暇中のラジオ体操の場となり、現在でも毎朝6時半からラジオ体操が行われている。
日光街道(日光道中)及び奥州街道(奥州道中)に沿って形成された宿場町。 東京都中央区の日本橋から数えて1番目。 東海道の品川宿、中山道の板橋宿、甲州街道の内藤新宿と並ぶ江戸四宿の一つ。 千住宿は、武蔵国足立郡・豊島郡の荒川(現在の隅田川)曲流部で海抜約2mの沖積低地上、荒川に架けられた千住大橋沿い、隅田川両岸に設置され、水戸街道が分岐する。 1594年、荒川に千住大橋が架けられ、5街道を整備。 奥州街道・日光街道の宿駅に指定。 当時、本陣、脇本陣、旅籠の他、鮒屋、穀屋、八百屋、胡粉屋、百姓、餅屋、肴屋、桶屋、紫刈屋、鍵屋、鍛治屋、棒屋、左官、大工、鯉屋、わら屋、湯屋、木材屋等があった。
千住宿場町
千住河原町に設置された千住青物市場(やっちゃ場)は御用市場となり、岡場所としても発展。 岡場所とは、江戸時代唯一の幕府公認の遊郭である吉原に対して、それ以外の非公認の遊郭の総称。 江戸幕府公認・準公認の飯盛女(私娼・飯売女・飯売)が置かれ、湯女がいた。
千住宿場町
1815年、千住宿の飛脚問屋の中屋六衛門の六十の祝いに千住酒合戦を開催。 会場は中屋。 酒合戦とは競飲会のことで、厳島杯、鎌倉杯、江島杯、万寿無量杯、緑毛亀杯、丹頂鶴杯等の大杯を用い、参加者は呑み比べをした。 1872年、助郷制度・伝馬制廃止に伴い廃止。 小塚原町には小塚原刑場が設置され、小塚原には明歴の大火(振袖火事)の犠牲者を葬るために幕府が回向院が建立され、刑死した人の埋葬と供養を行った。
飲食店や居酒屋等が立ち並ぶ。 千住が由来となり、西口駅前のアーケード街は「きたろーど1010」となった。 小売業のイトーヨーカドーの1号店、大手釣り具店の上州屋本店もあったとか。 1327年、千住という地名の由来は、新井図書政次が荒川にて網で千手観音像を拾い、当地を千手と呼んだことから。 この像は勝專寺を開基した新井兵部政勝によって安置された。 また、足利義政の愛妾千寿の出生地であったことから、千住と呼ばれるようになったとか。 古くは、練馬の大根、目黒の筍、尾久の牛蒡などと並ぶネギの名産地であった。
江戸時代、宿場町として発展した千住には本町通り商店街や宿場町通り商店街などが連なっている。 旧日光街道の一部にあたり、約100店舗が軒を連ねている。 コンセプトは、「くらしに役立つ本町センター」。 飲食店や居酒屋、雑貨店などがある。
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東京都足立区にある宿場町通りと呼ばれる商店街には焼肉や蕎麦、カレー専門店などがあるが、時々、食べたくなるのがラーメン。 ここの麺屋 音でのラーメンは煮干しの出汁が評判で、昭和の味が再現された「特製煮干しそば」は看板メニュー。 今回は、2016年にオープンした麺屋 音 別邸での人気No.1メニュー「生姜鶏白湯」を一杯、味わってみることにした。 店内に通され、カウンター席に座っていると、聞こえてくるのは三味線のBGM。
生姜鶏白湯
熱さで湯気が立ち上り、いい匂いが周囲を漂う。 たっぷり乗ったチャーシューも美味しそう。 早速、麺を一口。 麺は平打ちのちぢれ麺で、厚みがあると同時に、生姜のさっぱりとした味が効いた生姜鶏白湯は絶品。 ラーメンとしては今まであまり口にしたことがないような食感が衝撃でした。 麺と生姜の相性が抜群、分厚いチャーシューをときどき、口にしながら、満足の一杯でした。
遊具などが設置され、市民の憩いの場として親しまれている。 また、公園内には江戸時代に開設された日光街道(日光道中)及び奥州街道(奥州道中)に沿って形成された宿場町の雰囲気を再現した模型があり、公園のシンボルとなっている。
1950年から1960年にかけての当時の雰囲気を今に伝える飲食店街。 ここでは、居酒屋などを中心とする飲み屋街となっている。
50円のプリンや108円の豆富など、スーパーマーケットやコンビニエンスストア向けに製造販売されているスイーツが破格の安さで楽しむことができる。
激安スイーツ
理由は、群馬県にある工場の直売店の一つとして知られ、製造過程で発生するケーキの端切れや型崩れなど、定番の商品にはならない商品の多くを取り扱い、ケーキやプリンの他、和菓子などが販売されている。
激安スイーツ
訳アリスイーツとして店頭に並んでいるが、一般的なスーパーマーケットやコンビニエンスストアで販売されているスイーツと味や品質は同じ。 安心して美味しくいただくことができる。
激安スイーツ
訳アリスイーツとして店頭に並んでいるが、一般的なスーパーマーケットやコンビニエンスストアで販売されているスイーツと味や品質は同じ。 安心して美味しくいただくことができる。
浄土宗の寺院。 三宮神山大鷲院と号す。 新井兵部政勝によって開基。 勝専社専阿上人によって開山。 1260年、草創。 新井兵部政勝の父・新井図書政次が隅田川から引き上げた木造千手観音立像が千住の名の起りの一つといわれ、足立区登録文化財に登録されている。 1789年、閻魔大王堂には開眼された「閻魔様」が鎮座。
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これまで多くの有名人が訪れた名店として知られ、店先に置かれた看板にはアントニオ猪木さんや彦摩呂さんらが訪れた時の写真と絶賛したというコメントが添えられていた。 メニューは、比内地鶏のむねのたたき、比内地鶏もも焼き、串焼き比内地鶏入りの盛り合わせをはじめ、アボカドサラダ、海鮮サラダ、雑賀特製煮込み、海老そばなどが並ぶ。
お帰りなさいセット
なかでも、気になったのが、焼き鳥2本やもつ煮込み、飲み物などがセットになったお帰りなさいセット。
お帰りなさいセット
価格は1000円ぽっきりでお得な内容。 ビールとの相性も抜群です。
お帰りなさいセット
焼き鳥の美味しさはもちろん、下のご飯にもたっぷりとたれがかかっていて、絶品です。
焼き鶏丼
さて、最後の〆としては、焼き鳥丼か親子丼で悩みましたが、焼き鶏丼にしました。
江戸時代、日光街道の千住宿場町としての賑わいを見せた千住界隈。 1855年、横山家の住宅として建てられた。 木造2階建て細格子造り。 1936年、改修され、足立区の有形文化財に指定されている。 地漉き紙問屋を営んでいた。 江戸時代、公用の旅行者に対する便宜を図って課役(伝馬役)を負担したことから、伝馬屋敷とも呼ばれた。 1868年、官軍との戦いで上野彰義隊が敗走した際に付けたとされる刀の跡が現存する。
江戸時代、日光街道の千住宿場町としての賑わいを見せた千住界隈。 代々、「東斎」を名乗り、絵馬「千住絵馬」を中心に製作している。 7代東斎の政蔵氏は提灯、絵びら、開店祝いなどの花輪の文字、凧、地口絵紙を製作していた。 政蔵氏の没後、晁子氏が千住絵馬作り、地口絵紙づくりを受け継いできた。 吉田絵馬屋では168種類の地口下絵をもって絵紙の製作をしている。
足立市場の元仲買人が足立市場で仕入れたという新鮮な魚介類を使用した刺身や丼、鍋などを楽しむことができる。 特にいろんな魚介類を使用した海鮮丼が人気で、行列ができるほどであるという。
有名人のサイン色紙
これまでにテレビや雑誌など多くのメディアに取り上げられてきた実績を持ち、店内では多くの有名人のサイン色紙が並ぶ。
海鮮丼
海鮮丼は、約2000円でこのボリューム。 コストパフォーマンス優先のお店として親しまれ、平日のランチタイムでも長い行列ができているとか。
江戸前寿司をはじめ、マグロやサーモン、いか、ぶり、かになどを使用した丼や海鮮丼が楽しめるテイクアウト専門店。
海鮮丼
今回はいろんな種類のネタが一つになった海鮮丼。
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店先には白提灯を掲げ、店内ではレトロ感が漂っている。
ドM大歓迎の女性店員によるビンタ(有料で500円)
メニューは、手羽先唐揚げをはじめ、刺身、ステーキ、餃子などを楽しむことができる。 特に手羽先は、手羽先好きの創業者が300件以上の手羽先を転売する店舗を周り、6年の歳月を費やして完成させたという。 メニューは、手羽先唐揚げをはじめ、刺身、ステーキ、餃子などを楽しむことができる。 特に手羽先は、手羽先好きの創業者が300件以上の手羽先を転売する店舗を周り、6年の歳月を費やして完成させたという。
カツラのヅラ割(5000円以上で1000円引き)
ユニークな内容も多く、ドM大歓迎の女性店員によるビンタ(有料で500円)やカツラのヅラ割(5000円以上で1000円引き)などを展開する。
近年、横浜市を中心とする東京都市圏で人気を集めている横浜家系ラーメン。 1974年に初めて出店した「吉村家」の特徴である豚骨醤油ベースで太いストレート麺が源流とし、その流れを汲む家系ら麺が北千住にも登場した。
東京の名物であるすためしと油そば
家系ラーメンはもちろん、いろんな味を楽しめる。 中でも珍しいのが東京の名物すためしと油そばがメニューに並んでいること。 油そばに関して呼び方は様々で、もんじゃそば、まぜそば、手抜きそば、あぶらーめん等と称する。 1952年、国立市の一橋大学そばの「三幸」が、のびたラーメンをヒントに酒の肴として提供を開始。 または、武蔵野市境の亜細亜大学そばの「珍々亭」が中国の拌麺を参考に油そばを発売した。
すためし
やっぱり東京で名物を味わうなら、すためし。