戦後も戦争は終わっていなかった。舞鶴引揚桟橋を訪れる。
京都戦後も戦争は終わっていなかった。舞鶴引揚桟橋を訪れる。
2014年5月 京都の北、日本海側の、舞鶴引揚桟橋(復元) や引揚記念館に行ってきました。 当時のスターリン政権下のソ連では、数千万人が命を落としたとも言われ、ソ連国籍以外でも、日本人だけでなく、ポーランド人、ドイツ人を始め多くの人たちが犠牲になっていることでしょう。 昨年カザフスタンのアルマトイの集合墓地で、日本人墓地に行ってきたばかりです。 そこで生き延びた人たちが、この地に戻ってきたということです。 そしていまの日本があると、 静かな入江の港で、過去を想像してみました。
終戦時外地にいた日本人は民間人も含め約660万人。 舞鶴は昭和33年まで引揚が続き、約66万人が帰港しました。 ソ連によるシベリア抑留で、帰還に時間がかかったのです。 シベリア抑留による強制労働は約107万人、うち死亡者は34万人とも言われています。 現在の平和に感謝する意味でも、一度訪れてみてはいかがでしょうか。
シベリア抑留者の現地での暮らし
引揚記念館では、終戦後の外地からの帰りを待つ夫人、子供たちの様子や、シベリア抑留者の現地での暮らしぶりが展示してあります。
引揚桟橋(復元)
1960年まで引揚者を迎え入れた、最後の桟橋。
明治時代の軍港舞鶴港の倉庫が現存。
赤れんが倉庫群
きれいな レンガ色の倉庫群が美しい。
赤れんが博物館
レンガについて様々な視点からの収集・展示を行っている博物館。