
コリアタウン・桃谷界隈を散策
大阪コリアタウン・桃谷界隈を散策
まいどまいど! 今回は、西日本を代表するコリアタウンのまち・大阪市生野区の郊外を散策していきまひょ。 特に大阪市東成区と生野区にまたがる地域は一般的にコリアタウンと呼ばれ、ぎょうさんの在日韓国・朝鮮の人々が暮らしてはります。 文献上、古くは日本最古とされている架け橋「つるのはし」を建設したといい、大陸からぎょうさんの人が訪れて、付近はやがて食の生活を支える火事場として発展させ、現在のコリアタウンに至るとか。 街には、韓国・朝鮮の民族衣装として知られるチョゴリが店頭に並んでいる他、最近の韓流ブームに乗って、韓国を中心に活躍する人気アイドルグループのタレントグッズを店頭に並べる販売店、そして、もちろん、キムチやトッポギ、チヂミなどのグルメなどを楽しむことができまんねん。 そんなコリアタウンの中心地から少し離れた郊外には四天王寺や法隆寺を建立したこととしても伝わる聖徳太子や南北朝時代に活躍した悪党との異名をも持つ楠木正成とその子孫にまつわる史跡も出てきます。 また、古くから地域の人々に愛されてきた商店街や温泉もあり、大阪の下町らしい下町を散策していくお出かけプランです。
-
約1kmに及ぶアーケード商店街。 生野本通商店街をはじめ、生野中央商店街、生野本通センター街、ベルロード中銀座商店街、生野銀座商店街の5つで構成。 たこ焼きや青果、パン、寿司などの飲食店をはじめ、衣料雑貨、婦人服や美容院などの店が軒を連ねている。 また、駅からも近いので、主婦をはじめ、通勤・通学客などでにぎわっている。
-
銀座街など
商店街には、喫茶店などの飲食店や大阪市設生野公設市場などがある。
-
-
聖徳太子により創建。 この地は、生野長者の旧地と言われた。 長者には、言葉の不自由な子が生まれた。 聖徳太子は、その原因を前世で仏舎利3顆を与えたためと云い、それを吐くことを命じた。 長者の子供は3つの仏舎利を吐き出し、言葉は普通に話せるようになったという。 太子は法隆寺、四天王寺、残った1つを自筆の御影と共にの長者に付与された。 長者は、屋敷内に堂を建て、仏舎利を奉ったのが、舎利尊勝寺の始まりと言われる。 1547年、両細川軍がこの付近で対決した「舎利寺合戦」で荒廃。 1672年、徳川家綱が黄檗山万福寺の2代木庵に当地を与え、復興させた。 1945年、全焼、再建した。
-
御祭神は、少彦名命、菅原大神、事代主命、八幡大神となっている。 創建時期など、詳細は不明である。 また、周辺は、眼鏡レンズ発祥之地として知られている。
-
楠木正長は、楠木正成のあとを継いだ正儀として生まれた。 1412年、当地に住み、得度し法名に因んで定願寺を建立、一族の菩提を弔った。 当寺には正長の木像が残されている。
-
1372年、正成の子である正儀の三男。 南北朝時代、楠正成の孫にあたり、父は正成である。 幼名は、三虎三郎。 四条桑原寺の僧、祐存に養育された。 父祖の戦跡を巡り、楠一族の霊を弔う。 1412年、伯父正行の戦場であった四條畷の山麓に居住。 桑原寺付近の天神社に隠棲、その祭祀を掌る。 四条居士の由来は、四條畷の地名に由来する。 1468年、本願寺の六世、巧如上人に帰依した正長は定願と改め僧となった。 定願寺は、定願によって創建。 地元では、「遠宮さん」と呼ばれていた。 当時、広大な森や池などの他、小高い山もあったこの地に正長が住居を構えた。
-
1950年、イカが好物の店主が試行錯誤の末、当地でイカ焼きが誕生。 手打ち生地とイカを混ぜ込んだイカ焼きは今や大阪を代表するグルメに。
- アプリで地図を見る
-
居酒屋などの飲食店や雑貨屋などがある。 さらに、桃谷温泉があり、駅からも近いので、市民の憩いの場として親しまれている。
-
1800年代、猫間川の渡し守りをしていた「源さん」は、旅人の物を取り上げた。 ある日、いつものように持ち物を盗み殺してしまった旅人が、長い間行方を探していたわが子だった。 「源さん」は、これをきっかけに改心し、私財を投げ出して猫間川に橋を架け、人々は善人になった「源さん」にちなんで『源ヶ橋』と名付けたと言う説が残る。 1937年、源ヶ橋温泉が建てられた。 1998年、源ヶ橋温泉は、国の登録有形文化財に指定された。 銭湯の入り口には、自由の女神が立っている。 店主は、「ニューヨーク」と「入浴」のシャレでつけたと言う。