兜松
神奈川県藤沢市宮前当地の街道は鎌倉街道と呼ばれ、鎌倉の化粧坂から柏尾川を渡り、村岡城内に通ずる。
八幡太郎義家が鎮守府将軍のとき奥州に後三年の役があり鎌倉権五郎景政も16歳で従軍。
苦戦が続き援軍には新羅三郎義光がいた。
仙北郡金沢棚の合戦には鳥海弥三郎に右の眼を射られ、その矢を射返して敵を討ちとった。
凱旋のあと御霊神社を訪れ、戦勝のお礼詣りの記念に岩上の松の根もとに兜を埋めたのが兜松の由来。
またこの付近は新田義貞の鎌倉攻めの中心地で鎌倉方は相模守赤橋守時で六万余騎の大軍で1333年5月18日は一日一夜のうちに65度の合戦が行われた激戦地で州崎の戦いとも。