コウノトリと出会い、お菓子の神様に祈願。そして、カバンラッピングバスに乗車!?
まいどまいど! 国の天然記念物コウノトリのふるさと兵庫県豊岡市。 ここには絶滅危惧種に指定されたコウノトリの繁殖を目的とした施設がおまして、人工繁殖に成功、ついに野生化に向けて大きな一歩を踏み出し始めました。 豊岡出身のコウノトリが皆さんの町にやってくるのも近い将来かもしれまへん。 そして、一風変わった神社と言えば中嶋神社やおまへんやろか。 中嶋神社の祭神はお菓子との縁が深いとされ、広く信仰を集めてはりますねん。 その他、「まちおこし」にも積極的なのが、カバンストリート。 27の商店が軒を連ね、14店舗でカバンを販売。 2009年、経済産業省・中小企業庁の「新・がんばる商店街77選」に選定されましたんや。 日本でも珍しい「かばんの自動販売機」が設置され、様々な種類の鞄が販売されてまんねん。 ほんで、それだけやおまへん。 全方向に鞄の模様のラッピングが施され、豊岡カバンバスとして市内を走ってはりまっせ。 その他、豊岡の玄関口の一つである豊岡駅や駅前の商業施設など、充実したお出かけプランを皆さんにご案内していきまひょ。 ほな、まいどおおきに!
カバンストリート
奈良時代、新羅王子(天日槍命)によって、柳細工の技術が伝えられた。 「柳筥」は正倉院上納。 江戸時代、豊岡藩の独占取扱品として、柳行李の生産が盛んとなった。 1668年、京極伊勢守高盛が丹後国から豊岡に移封され、柳の栽培並びに製造販売に力を注ぎ、土地の産業として奨励したのが始まり。 明治時代、第2回内国勧業博覧会に八木長衛門が行李鞄を創作出品。 第5回内国勧業博覧会に遠藤嘉吉朗の「旅行鞄」が出品。 服部清三郎の「鞄型柳行李」、宇川安蔵のドイツ製品を模倣した「バスケット籠」等の創案が相次いだ。
大石理玖の生家跡
江戸時代、赤穂藩家老大石良雄の妻。 1669年、但馬国豊岡藩京極家の家老石束毎公の長女として誕生。 香林院 理玖(りく)の母は佐々信濃守休西の娘。 石束家は代々京極家の筆頭家老を勤め、京極家中一番の名門家。 身長は180cmと大柄であったとか。 1687年、播磨国赤穂藩浅野家の筆頭家老の大石良雄と結婚、赤穂城内の大石邸へ移住。 長男松之丞(大石良金)、長女くう、次男吉千代、次女るり。 徳川将軍綱吉から家宣に代わり将軍宣下を行ったことにより、大三郎は安芸国広島藩の浅野本家に仕官。 次女るりも広島藩士で浅野家一族の浅野直道と結婚。
豊岡陣屋跡
豊岡陣屋は豊岡藩の藩庁。 1668年、京極高盛が移封、豊岡城址の山麓に築かれた。 豊岡城の城主であった杉原氏は関ヶ原の戦いで西軍に与していたが、浅野長政の娘婿であることから、執り成しで旧領安堵されたが、3代藩主重玄の時嗣子なく改易となり、天領となった。
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