八重洲・日本橋
まいどまいど! 東京を代表する繁華街といえば八重洲・日本橋。 名は日本橋でも「にほんばし」と読み、大阪・日本橋の「にっぽんばし」とは読み方がちゃいまんねん。 また東京の日本橋は経済の中心地としても知られ、中心部には日本銀行本館、日本銀行金融研究所貨幣博物館、そして東京証券取引所などがおまして、ビジネスマンの姿が絶えへん界隈ともなってまんねん。 周辺には厳かな雰囲気を持つ三越百貨店があり、日本初の店前現銀売りや現銀掛値無し、小裂何程にても売ります(切り売り)を行った場所としても知られてまんねん。 最近では日本初のファッションショー、日本初の自動車(配達用)、デパートのバーゲンセール、第一回無形文化財日本伝統工芸展を開催。 その他、第一国立銀行跡・銀行発祥の地としても知られておまして、日本初の民間資本による銀行の発足ならびに株式会社が設立。 ここにも渋沢栄一氏の足跡を感じることができまんねん。 また、郵便局発祥の地としても知られ、郵便局を発足させた前島密氏の銅像も建立。 日本初・世界初がぎょうさん詰まった八重洲・日本橋界隈を闊歩しまひょ。
東京駅八重洲中央口
2020年、東京駅八重洲中央口前に「おいしい食の未来」を体験・楽しめる野外フードコート「Beeat!!八重洲」が開業。 食品関連企業・団体や生産業、地域の飲食店、料理人らが中心となった期間限定イベントの一つ。 テーマは「未来の食」。 オープンスペースで、新食材を使ったヘルシーなテイクアウト、規格外の野菜や植物工場生産の野菜、環境に配慮した容器の採用。
尾台榕堂之碑
尾台榕堂は将軍・徳川家茂の侍医も務めた幕末の名漢方医・ 1799年、信濃魚沼郡(現在の新潟県十日町市)出身。 16歳の頃、江戸に出て医師の尾台浅嶽に漢方を学んで師家を継ぎ、浅田宗伯と共に「江戸の二大名医」として称えられた。 大坂城で倒れた家茂を診察して評判を呼び、明治天皇の侍医も務めた。 診療を待つ患者を相手に診療所前には茶屋が出来たとも。 「浅田飴」の創業者・堀内伊三郎は浅田家の書生で水飴の処方を譲り受け、浅田飴を創業したとも。
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