かつて当地で製造された大砲をもとにモニュメントが設置。
三浦半島の砲台に備え付ける大砲を鋳造するため、長州藩では鋳物師郡司右平次(喜平次)を江戸に呼び寄せた。
かつて当地には長州藩主松平大膳太夫の屋敷があったといい、1854年に幕府の許可を得て、佐久間象山の指導のもと、この屋敷内で36門の大砲を鋳造。
攘夷戦の戦利品としてフランスに渡り、パリのアンヴァリッド(廃兵院)に保存されている長州藩毛利家の紋章の入った大砲には、「嘉永七歳次甲寅季春 十八封度砲 於江都葛飾別墅鋳之」と刻まれている。
「葛飾別墅」とはこの屋敷を意味。