高杉晋作は、ここに1864年11月頃10日間ほど過ごしている。
幕府による第一回長州征伐の動きよる長州藩政変により身の危険を感じた高杉は、九州の鍋島藩に救援を求めに来た。しかし、それに失敗した後、筑前藩の月形らのすすめで、野村望東のもとに潜伏している。
潜伏期間中に、長州藩政府が正義派と言われる高杉らの仲間である三家老などを俗論派により処刑された、との知らせを受けている。
ここで高杉は、俗論派を倒幕する決意を固目ている。
下関に戻り、12月15日深夜、遊撃隊と力士隊の80人を率いて功山寺を訪れ、そこに蟄居している五卿の前に具足を着けた高杉が現れ、決起の意志を伝えている。