織田信長が愛馬で走った富士山西麓の中道往還
織田信長が愛馬を蹴って甲府の南にある笛吹川の野営地から富士山本宮浅間大社まで走り抜けた話しを面白く読んだ記憶があります。
信長は初めての富士山を西側から見た事になります。
3月頃なので雪を冠る富士山に感嘆しただろう、などとこの道を走るたびにその情景を楽しく想像してしまいます。武田氏滅亡でホッとした信長に家康が旅の馳走をする話しが書かれていました。
次に野営する富士山本宮浅間大社への50キロほどの道の両脇に人を立たせ安全を確保し、富士山本宮浅間大社に信長や付き添う侍たちの為に無数の小屋を建て、篝火を焚かせている風景を想像してしまいます。
夜、信長たちは煌煌と明るい富士山本宮浅間大社に到着し、大社内で豊富に湧き出る富士山の水で汗まみれの侍たちや愛馬の汗を拭い去る活気ある風景を思い浮かべたく、富士山本宮浅間大社を訪れました。
何も無い平坦な場所にある神社でしたが、冷たい湧き水に私が触れた時、辺りの風景を一変させてくれた時は嬉しかった。家康は、この水で信長にお茶を振舞ったかと思うと、また、面白くもありました。写真は、富士山本宮浅間神社にある湧き水からなる池、湧玉池です。