すみよっさん近くであびこ観音さん
大阪すみよっさん近くであびこ観音さん
まいどまいど! 大阪では古くから物の名称に「さん」や「ちゃん」をつける風習があり、「飴」には「飴ちゃん」、「芋」には「お芋さん」。 大阪市住吉区に鎮座する住吉大社では「すみよっさん」という愛称で呼ばれ、親しまれてきた。 そんなすみよっさんの近くには「あびこ観音さん」という愛称で親しまれてきた我孫子観音があり、今でもぎょうさんの参詣客でにぎわってはります。 そんな大阪の経済の恩人と知られる五代友厚さんは大阪市立大学にゆかりがあり、敷地内には像も建立。 今でもぎょうさんの人に親しまれておます。 そんな大阪の交通を支えてきたのは地下鉄であり、その車庫・検車庫は浅香中央公園におました。 かつてはぎょうさんの車両がとまる車庫・検車庫であり、車両の点検や検査が行われてきました。 現在では自然豊かな公園として整備されておます。
大阪市住吉区にある公立大学。 1949年、大阪市立大学の前身にあたる大阪商科大学は日本で初めてとなる市立大学として創立された。 2011年、公立大学としては最大規模となる8学部10研究科を設置。 理念は、当時の關一・大阪市長の発言「大学は都市とともにあり、都市は大学とともにある」および「国立大学の"コッピー"であってはならぬ」が由来。
1880年、五代友厚らによって創設された「大阪商業講習所」及び「市立大阪商業学校」が源流。 1901年、市立大阪商業学校を源流とする大阪高等商業学校を設立した。 1928年、一橋大学、神戸大学との交流を深め、旧制大阪商科大学が誕生した。 1949年、大阪商科大学、大阪市立都島工業専門学校、大阪市立女子専門学校を統合して新制大阪市立大学が発足した。
検車場跡地には、浅香中央公園、住吉スポーツセンター、学校等の文教施設が建設。
我孫子検車場
大阪市高速電気軌道(大阪メトロ)御堂筋線の我孫子駅には引き上げ線があり、我孫子検車場と結んでいた。 我孫子検車場には当時の大阪市営交通局が運営する御堂筋線と四つ橋線の車両を合わせた一大主力車両基地であった。 その後、四つ橋線は新設の緑木検車場に移管、御堂筋線は中百舌鳥検車場が開設されたことで我孫子検車場は閉鎖。
我孫子検車場
公園内には30系の3011号車(最終出庫車)の車両番号プレート等の記念碑と銅像と車輪が展示、保存。
祭神は、住吉三神、建豊波豆羅和気王である。 「おおよさみ」と呼ばれ、親しまれている。 建豊波豆羅和気王は、豪族の祖先とされる。 神功皇后の三韓征伐の際、依羅吾彦男垂見が住吉三神と建豊波豆羅和気王に戦勝を祈った。 帰国後、依羅吾彦の一族が神主となったと言う。 地名である我孫子の由来は、依羅吾彦である。 南北朝時代、衰退したが、式内社草津大歳神社、式内社奴能太比売神社など5社を合祀した。
紀元前100年頃、約1キロ平方キロメートルの依網池を掘り、灌漑に利用されていたとされる。 1704年、付近を流れる大和川開削のため、分断され縮小した。 現在は、碑だけが当時を物語る。
「あびこ駅」すぐにある「あびこ中央商店街」。 通称、あびんことも呼ばれている。 カラー舗装、街路灯等がある。 他にも、「夜店」や「のど自慢大会」、「あびんこ祭」など、話題の多い商店街である。
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観音宗総本山で、山号は吾彦山。 別名、あびこ観音とも呼ばれる。 546年、日本最古の観世音菩薩の寺院として創建された。 1947年、観音宗と改称する。 毎年2月1日から7日まで「節分厄除大法会」が行われる。
中世後期、当地に鋳物師集団が居住し活躍していた。 1400年代、銅・鉄製品鋳造用の炉や鋳型があったとされる。 平安時代、河内丹南には有力鋳物師集団の存在が知られている。 1451年、我孫子や苅田、庭井などの鋳物師名が存在した。 1532年、織田信長の庇護もあり、河内鋳物師集団をしのぐ勢力をもっていたとされる。
日本最古の国際港として知られる住吉津は、細江川周辺にあったとされ、この場所から一寸法師が旅立った。 細江川はかつて、住吉大社の南側付近で池沼状になっていた。 そのため、浅沢小野と呼ばれる「かきつばた」の名所であったと言う。 万葉集にも当時の情景を詠んだ歌が収録されている。
祭神は、素盞嗚命、稲田姫尊である。 創建時期などの詳細は不明である。 境内には、後鳥羽天皇行宮跡の碑が建てられている。 1220年、上皇は熊野詣のとき、この地に行宮をおき若松御所と称したことによる。 このため、当社は若松神社とも呼ばれている。 それ以前は、住吉大社の摂社(奥の院)とされていた。