あかん!奈良、ごっつおもろすぎる!
奈良あかん!奈良、ごっつおもろすぎる!
まいどまいど! 日本を代表する観光都市の一つといえば奈良県やおへんでっしゃろか。 奈良県には東大寺や法隆寺など聖徳太子ゆかりの寺院仏閣をはじめ、奈良公園やその周辺に生息する鹿とのふれあいは全国的にも珍しい。 ほんでそれだけやおまへん。 兵庫県の「揖保乃糸」のライバルともいうべき三輪そうめんは奈良名物の一つ。 桜井市やその周辺で製造販売され、お土産にもおすすめ。 また、いにしえの時代、卑弥呼らが活躍したとされる邪馬台国がここ奈良県に存在したとされ、遺跡も保存、展示されてまんねん。 そして付近には酒の神様として大神神社、相撲ゆかりの地として相撲神社も鎮座。 古き良き日本の文化の原点にタイムスリップしたかのような錯覚に。 その他、大和郡山市では金魚の繁殖が盛ん。 町のいたるところで金魚にまつわる展示があり、見る人の目を楽しませてくれはりまんねん。 奈良には天理ラーメンや柿の葉寿司など知る人ぞ知る名物もぎょうさんおまっせ。 で、なんや奈良っちゅう場所は竹取物語・かぐや姫伝説にゆかりがあるんやそうで、かぐや姫の立派な像が観光客を出迎えてくれまんねん。 奈良には驚きと発見がいっぱい。
朝護孫子寺は、信貴山真言宗総本山の寺。 本尊は毘沙門天。 「信貴山寺」とも称し、一般には「信貴山の毘沙門さん」として知られる。 大和七福八宝めぐり(三輪明神、長谷寺、信貴山朝護孫子寺、當麻寺中之坊、安倍文殊院、おふさ観音、談山神社、久米寺)の一つに数えられる。
大和郡山市では江戸時代から続く金魚の養殖が盛んな町として知られている。 元々、山梨・甲府の柳澤吉里が国替えの際、大和郡山に金魚を持ち込み、武士の副業として広まり、今では、輸出もされている。 金魚養殖のシェアは山形県の庄内金魚と大きく二分するほどで、最近では「全国金魚すくい選手権大会」などが開催されている。 大和郡山市内にある柳町商店街では金魚養殖にまつわる展示品が数多く展示され、駅の自動改札機の形をした水槽が設置され、中では金魚が実際に泳いでいた。
あれ?ジュースは?
街を歩けば清涼飲料水を販売するはずの自動販売機の中にも金魚が優雅に泳いでいる。
店先に設置された金魚のぬいぐるみが目印。 店内では地域名産のお土産をはじめ、金魚をモチーフにした小物類、仏閣等をデザインにしたお土産、記念品が並んでいる。 また、「金魚すくい道場」が併設され、金魚すくいを年中通じて体験することができる。 金魚すくい道場の門下生は300名以上を数え、段位認定や本大会ルールに乗った練習も行われている。
1903年、五條市にて創業。 田中徳松は大工の棟梁を生業とし、多くの職人を抱え、日々の食事は妻ヨシが賄っていた。 西日本旅客鉄道(JR西日本)五条駅前に食堂を出店し、夏季限定で作っていた「柿の葉すし」を本格的に販売。 以後、柿の葉寿司は五條市を代表する名物となり、昭和時代に天皇陛下に献上、平成時代に皇太子殿下に献上するなどの実績を持つ。 「しめる」「押す」 「しめる」「押す」 寿司は鯖を塩や酢で「しめる」、重石をきかせて一晩「押す」ことで味をなじませたもの。 柿の葉はビタミンCが豊富で抗菌・抗酸化作用に優れ、すし飯を乾燥から防ぐ以外に保存性を高める効果も。
奈良県立都市公園奈良公園。 一般的には、奈良公園と呼ばれている。 ここでは、約1100頭の鹿が生息し、国の天然記念物に指定されている。 1671年から続く伝統行事の「鹿の角切り」や、ホルンで鹿を集め餌をやる「鹿寄せ」というイベントが有名である。 そもそも、奈良公園に生息する鹿は春日大社の神使。 春日大社創建の際、茨城県にある鹿島神宮の祭神・武甕槌命が神鹿に乗ってやってきたと伝えられる。 現在、奈良市の「財団法人 奈良の鹿愛護会」が鹿の保護に努めている。 また、奈良公園は、桜の名所として知られ、日本さくら名所100選に選定。
外科や内科、眼科、歯科口腔外科、放射線科など地域の総合病院の一つ高井病院。 病院内にはタニタの社員食堂のレシピを忠実に再現したタニタ食堂が営業。 タニタとは「乗るだけで計測できる体脂肪計」世界初「家庭用体脂肪計付ヘルスメーター」などを製造販売する計測器の大手メーカー。 タニタ食堂とは2012年、ビジネスの中心地、丸の内から日本を元気にしていきたいという思いからオープン。 タニタ食堂は東京・丸の内、岡山、北九州、福岡にあり、関西地域では当地のみ。 メニューは日替わり定食やカレーライスなど。 日替わり定食の場合、一食で約500kcal。 厚生労働省が示した野菜摂取量の一日の目標は350g。
タニタ食堂
タニタ食堂は1定食に付き約200gの野菜を使用。 また、自然に咀嚼回数が増えるよう、野菜を大きめにカットしているといい、火を通しすぎない調理で、噛みごたえのある硬さにしていることで、脳が満腹と感じる時間の目安約20分間、噛むことで満腹感が得られる。 旬の食材を使用し、塩分量は1食約3g。 ご飯の量は「100g(約160kcal)」。 併設されたカウンセリングルームでは管理栄養士からアドバイスも。
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メニューはスタミナラーメン、夜鳴きラーメン、味噌ラーメン、つけ麺(豚骨和風)など。 スタミナラーメンには白菜、ニラ、ニンニク、豆板醤など。 夜鳴きラーメンは九州の「夜鳴きラーメン」から。 ジャズ専門のライブハウスで、ライブの終わりにラーメンを振舞っていたことからはじまる。 1980年、奈良県天理市にて屋台で開業。 1987年、奈良県天理市で天理スタミナラーメン本店として開店。
巨大かぐや姫 敷地内には広陵町が起源とされる「竹取物語」の登場人物の一人である「かぐや姫」の像が建立。 竹取物語は「今は昔、竹取の翁といふ者ありけり。」というはじまりで知られ、平安時代には既に存在した。 竹取の翁は「讃岐の造」と呼ばれていることから、竹取物語の舞台は大和国広瀬郡散吉郷(奈良県北葛城郡広陵町三吉)との説も。 また、かぐや姫に求婚をした5人の貴族が住んでいたと想定される藤原京から通える距離に位置し、「竹取物語ゆかりの神社」と称する讃岐神社も付近に鎮座。
法楽寺境内に建立された石碑。 現在の法楽寺がある周辺は第7代孝霊天皇黒田廬戸宮跡の宮跡とされ、その皇子とされる吉備津彦命が桃太郎のモデルとも。 孝霊天皇を祭る孝霊神社も、明治時代までは法楽寺の境内にあった。 桃太郎のモデルとなった吉備津彦命は当地で生まれ育ち、大和朝廷の命により吉備の国(岡山県)の平定に派遣。 香川県高松市、鳥取県日野地方など各地に鬼退治伝説を残している。
醤油ベースのピリ辛ラーメンにニンニクや白菜を使用する「元祖天理ラーメン」のラーメン店。 具材は中華鍋にラー油とラードを加熱し、白ネギ、ニンニク、豚バラ肉、ニラ、人参を炒め、豚骨と鶏ガラでとったスープを加え、醤油ダレと辣醤を入れる。 彩華ラーメンは奈良県天理市に本社を置き、奈良ご当地ラーメンである天理ラーメンの元祖としている。 メニューはチャンポン、味噌ラーメン、餃子、チャーハンなど。
唐古・鍵遺跡の象徴であり、特徴は渦巻きの屋根飾り。 遺跡から発掘された土器に描かれていた絵画を元に復元。 楼閣の意味は「重層の建物」。 大陸・中華人民共和国風の楼閣の絵画からは、海外との交流の可能性もうかがわせる。
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毎年6月第1日曜日に行われる蛇巻き。 蛇巻きは豊穣祈願を目的に鍵地区では新稲わらで、今里地区では新麦わらで蛇をつくり、13歳から17歳の男性が担いで行列するお祭り。 鍵地区では8時頃から八坂神社で準備をはじめ、13時30分頃から村中を練り歩いて巻きつけ。 今里地区では13時頃から杵築神社で蛇型を作成、13時頃から今里の大字全戸をまわり、杵築神社で巻きつけ。 中学生以上の男子が麦わらを束ね、全長18mになる蛇を作る。 行事参加者が拝殿でお神酒を飲む間、村の参拝者にはわらの先にくくられた「わかめの味噌煮」が配られる。
中学1年生から高校1年生まで
中学1年生から高校1年生までの男性が蛇頭を抱え、今里の各戸を「おめでとう」と言いながら練り歩く。 広い道では、「それ」との掛け声とともに、蛇体に人を巻き込みながら練り歩いた後、蛇は再び杵築神社に戻り、神社南側にある大樹に頭を上に巻き付けられる。
祭神は日本大国魂大神、八千戈大神、御年大神。 倭大国魂神は元々、大地主大神として天照大神とともに孝昭天皇の時代から瑞籬宮の大殿に同殿共床で祀られていた。 世の混乱は両神の勢いの為であると畏れられた。 崇神天皇は神威を恐れ、天照大神を皇女豊鋤入姫命に命じて大倭国の笠縫邑に移して祀り、倭大国魂神は皇女渟名城入姫を斎主として宮中の外で祀らせた。 淳名城入姫は髪が落ち、体は痩せて祭祀を続けることが困難に。 倭迹迹日百襲姫命は夢で「市磯長尾市をもって、倭大国魂神を祭る主とせば、必ず天下太平ぎなむ」との神託を受けた。 倭迹迹日百襲姫命・大水口宿禰・伊勢麻績君らも同じ夢を見た。
日本海軍の軍艦の一つ大和
神武天皇の臣・椎根津彦の子孫で大倭直の祖である市磯長尾市を祭主として、新たに神地が定められ、当社が創建。 平安時代、諸国に神封327戸という天照大神を祀る伊勢神宮に次ぐ広大な社領を得、朝廷の崇敬を受けて隆盛。 平安京への遷都や藤原氏の隆盛、火災などにより一時、衰退。 また日本海軍の軍艦の一つである大和は当社が由来となっており、現在もゆかりの地として知られている。
神籬は神道において神社や神棚以外の場所で祭祀を行う場合、神を迎えるための依り代となるもの。 古来、自然の山や岩、木、海などに神が宿っているとされ、信仰の対象としてきた。 古代、神道では神社を建立、社殿の中に神は祀ることはなく、祭りの時々には神を招いて執り行った。 その際、神を招くための巨木の周囲に玉垣をめぐらして注連縄で囲うことで神聖を保ち、神籬と呼ばれた。 次第に神社が建てられるようになり、祭りも社殿で行われるようになった。 形式は八脚台の上に枠を組み、榊の枝を立て、紙垂と木綿を付けたもの。 「ひもろぎ」(「ひ」は神霊、「もろ」は天下るの意の「あもる」の転、「き」は木の意)。
奈良県桜井市に鎮座する穴師坐兵主神社の摂社。 祭神は野見宿禰。 古墳時代にあたる90年頃、大兵主神社神域の小字カタヤケシで野見宿禰と当麻蹴速が日本で初めてとなる勅命天覧相撲を行った。 これを日本の国技である相撲の始まりとされている。 1962年、日本相撲協会の理事長や幕内力士が当地を訪れ、顕彰大祭が行われた。 大鵬と柏戸の両横綱による土俵入りを奉納。 境内には「勝利の聖 野見宿禰」記念碑が建立。
纒向遺跡は古墳時代の大規模な集落遺跡として知られる。 日本最初の「都市」とも。 纒向遺跡辻地区では複数の掘立柱建物跡の他、桃の種が出土した大型土坑などが発掘調査により確認された。
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三輪山の北西麓一帯に位置する弥生時代から古墳時代にかけての集落遺跡。 前方後円墳の発祥地とも。 邪馬台国の中心地(邪馬台国畿内説)とも。 名称は旧磯城郡纒向村に由来(「纒向」は垂仁天皇の「纒向珠城宮」、景行天皇の「纒向日代宮」)に由来。 三輪山・巻向山・穴師山等からの川が巻向川で合流、その扇状地上に遺跡が形成。 縄文時代、土石流の流れ込みがあり被害があったとか。 方形周濠墓跡や竪穴住居跡、土器、銅鐸、土坑、吉備地方にルーツを持つとされる弧文円板、埴輪などが出土。
別名、箸中山古墳。 大和・柳本古墳群に含まれる纒向古墳群(箸中古墳群)の盟主的古墳。 形状は前方後円墳。 実際の被葬者は不明であるが、宮内庁では第7代孝霊天皇皇女の倭迹迹日百襲姫命として管理。 倭迹迹日百襲姫命とは、崇神天皇の祖父孝元天皇の姉妹。 一説によると邪馬台国の女王卑弥呼とも。 ため池「箸中大池」はため池百選に選定。 百襲姫の陰部に箸が突き刺さり、絶命したことが名前の由来。
奈良県桜井市にある飲食店「三輪そうめん流し」前に設置されているクレープ専用の自動販売機。 自動販売機にはクレープを中心にピザ・ドッグ、焼き芋などが並ぶ。 クレープの種類はチョコバナナ、チョコクリーム、生キャラメル、生キャラメルナッツ、抹茶あずき、抹茶ミルク、マスカルポーネチーズ、いちごミルク、クッキー&クリーム。
祭神は大物主大神 (倭大物主櫛甕玉命)、大己貴神、少彦名神。 大己貴神の和魂である大物主神は蛇神であると考えられ、水神または雷神としての性格を合わせ持ち、稲作豊穣、疫病除け、醸造などの神として信仰を集めている。 別名、美和乃御諸宮、大神大物主神社。 通称、三輪明神。 御神体は三輪山。 御神体を三輪山としているため、自然そのものを崇拝するという特徴を持つ古神道(原始神道)の流れに属しており、本殿がない。 「古事記」「日本書紀」に三輪山伝説の記載があり、神の鎮座する山(神奈備)とされている。 三輪山伝説は大物主神に関係する伝説として、大神神社の付近にある箸墓に関わる伝説がある。
醸造安全祈願祭(酒まつり)
醸造安全祈願祭(酒まつり)では拝殿に杉玉が吊るされ、これが各地の造り酒屋へと伝わった。 檜原神社は倭姫命が天照大神を磯堅城の神籬を立てて磯城の厳橿の本にはじめて宮中の外に祀った「倭笠縫邑」の地。 元伊勢(伊勢神宮)の始まりの地。 大国主神(大己貴神)は少彦名神とともに国造りをしていたが、大国主が「小さな神」と愚弄したため、少彦名神は常世に帰った。
土舞台は聖徳太子が深くかかわったとされ、のちに日本芸能の発祥の地として知られている。 古代チベットやインドの仮面劇として知られる伎楽は西域を経て中国に伝わった。 その舞は滑稽卑俗な類のものとされた。 土舞台は日本最初の国立劇場で、聖徳太子は国立演劇研究所をも併設して芸能文化のため尽くされたとした。
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わらび餅やみたらし団子など和菓子を製造販売する専門店。 みたらし団子は昔ながらのしょうゆ味で人気とも。
大和野
特に昔ながらの家屋の形をした最中「大和野」が注目を集めている。