水間鉄道に乗って水間観音さんに会いに行こう
大阪水間鉄道に乗って水間観音さんに会いに行こう
まいど! 大阪府の南部、泉南地域の一部に属する貝塚市は、大阪湾に面し、山々に囲まれた自然豊かな地域。 大阪湾岸にある二色の浜では毎年、夏になると、多くの海水浴客でにぎわう。 また、昔から、海との縁が深く、岸和田市を中心に全国的な注目を集める「だんじり祭」が活発でんねん。 さて、大阪湾岸で、海の風を浴びたなら、次は、南海電鉄本線貝塚駅へ移動しよう! 駅の付近をぶらぶらしていると、昔ながらの雰囲気漂う商店街や観光案内所が見えてくる。 観光案内所にて、貝塚市のことを調べたあとは、貝塚市を東西に走る水間鉄道に乗って、水間観音さんに会いに行こう! 貝塚市内の東に位置する水間寺は700年代、行基によって創建された歴史的な仏閣。 地元では、水間観音さんと呼び、親しまれ続けてきました。 広い境内には、不思議な伝説が残る滝が見えてくる。 神秘的な滝を眺め、不思議なパワーを感じることのできる、隠れたパワースポット。 閑静な住宅街と、自然豊かな山々に囲まれた貝塚市に遊びにでかけよう!
貝塚市の特産品「つげ櫛」がモチーフ。 普段はのんびりしているが、お祭り、イベントが好きで、遊びに出掛ける。 城北公園フェア、御堂筋カッポのほか、貝塚市のイベントに登場!
天台宗別格本山の寺。 通称、「水間観音」と呼ばれている。 本尊は聖観世音菩薩。 700年代、聖武天皇の勅願により行基が開創した。 2つの川が合流する地点があり、付近には滝がある。 病床の聖武天皇の夢に観音菩薩が現れた。 行基がその合流地点に向かうと、竜神が現れ、そこに、聖観音像が現れたと伝わり、これが起源となった。
市の有形文化財、無形民俗文化財
境内には、市の有形文化財に指定された三重塔、護摩堂、市の無形民俗文化財に指定された千本搗餅つきなどがある。
水間鉄道水間線の駅として知られ、付近には、700年代に創建されたと伝わる水間寺がある。 水間観音駅は水間寺へと続く最寄りの駅となっている。 1926年、開業。 外観は、寺院風で国の登録有形文化財に登録された。 第一回近畿の駅百選に認定された。 2009年、水間駅から水間観音駅に改称。 当駅では引退した水間鉄道501形電車(元南海1201形電車)1両がパンタグラフを上げて静態保存、展示されている。
今年も世界一を目指して育ててきたという、ひまわり。 平均的なひまわりは2m~3m。 ここでは約7mのひまわりなので、その巨大さが改めて伝わってきました。 世界最大は、海外で8mであったといい、まだまだ低いとか。 いやいや、でも、7mでもすごい! 今、この時期にしか見ることのできへん、ひまわりを追い求めて、日本最大のひまわりがあるとの噂を聞いて、大阪府貝塚市にやってきました。 でも、どこにあるねんやろ?と付近を散策していると、見つけました。 ひまわりと行先を示す矢印が描かれた看板。 その看板を頼りに進んでいくと、畑が広がる一角にたどり着きました。
ちちんぷいぷい(大阪・毎日放送)の取材も
毎年、夏になると花を咲かせるひまわり。 全国各地のひまわりは満開となり、ひまわり畑などがテレビ番組で登場する。 ある日、テレビを見ていますと、ひまわりが登場した。 ああ、今年もとうとう、ひまわりが咲く季節が到来したかと思いながら、眺めていると、なんとビックリ! 日本一高いひまわりが取り上げられていた。 高さは約7mであるといい、テレビカメラはひまわりの最長部を目指して見上げるように撮影されていた。
一般的なひまわりと比べてみる
さて、目の前で見ると、この写真です。 ん!でかい! さすが7m。 見上げてみないと、撮影することができません。
目の前で
巨大なひまわりの周りには、足場が組まれていました。 いろんな角度からいろんな写真を撮影してみました。
天文台兼博物館。 1992年、開館。 施設内では、直径6.5mの天体観測ドーム内に口径60cmのニュートン・カセグレン式反射望遠鏡や口径10cmの屈折望遠鏡のほか、太陽プロミネンスや太陽スペクトルの観測装置、10cmの屈折望遠鏡や双眼鏡などを保有する。 毎週木・金・土曜日には夜間天体観察会が行われ、太陽の観察を行うこともできる。 施設の名称の由来ともなった岩橋善兵衛は江戸時代に活躍した望遠鏡製作者の一人で、施設内では、善兵衛が作成した望遠鏡などの天体観測機器や測量機器・著書などの資料展示や、古代の星図などのパネル展示を行なっている。
貝塚市内中心部への交通手段として。 「水間観音さん」として親しまれる水間寺への交通手段として利用されている。 全長約5.5kmの道程を結ぶ。
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飲食店や雑貨店などが立ち並ぶ。 この付近には古い街並みが残るエリアとして人気があり、多くの観光客の間で話題となっている。 また、だんじりの時期になると市内のほとんどの地域で開催され、この付近も舞台となる。
駅を出てすぐの場所にある観光案内施設は、市内の主な観光スポットの案内、名産品・特産品を展示販売している。 また、ボランティアガイドによる貝塚の名所旧跡の案内も行っている。
室町時代、願泉寺を中心に発達した自治都市の一つとして知られている。 1577年、一揆衆が集結し、織田信長軍との戦が勃発した。 1583年、本願寺が置かれ、寺内町として発展した。 江戸時代、貝塚ト半寺内として、商工業が発展した。
貝塚市 寺内町 めぐりみち
かつて、寺内町の周辺には、北を北境川、南は清水川が流れ、環濠を築いた。 北はが濠の役割を果たしていました。 清水川と交差する「紀州口」は旅籠屋が軒を連ね、旅籠町と呼ばれるようになった。
貝塚市 寺内町 めぐちみちを歩く
江戸時代、参勤交代時には紀州藩が度々、宿泊に訪れた。
行基によって開基。 本尊の阿弥陀如来立像を制作した。 1400年代、浄土真宗本願寺の蓮如が訪れた。 1500年代、住職は卜半斎了珍となった。 1583年、石山本願寺で石山合戦が勃発、顕如が訪れ、浄土真宗本願寺の拠点となった。 住持の卜半氏が「貝塚寺内町」の領主となって自治を行った。
1493年、真言宗寺院として開基していたが、浄土真宗に改宗。 大阪府泉南郡田尻町にある嘉祥寺と深い関わりを持っている。 1588年、新井から現在地に移転。
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1936年、本門、石垣塀、木造2階建の主屋をはじめ、内蔵、外蔵、納屋を建築。 寺田家は、寺田財閥の一族で、鉄工所を営む楠治が分家した。 現在、登録有形文化財に指定されている。
600年代、持統天皇は網曳御厨前身の漁場(地引網)を視察した。 かつて、推古天皇によって築かれた漁場の再整備を指示し、高龗神社で倭舞(神楽)を催した。 ある日、漁船が暴風雨に遭い、帆を吹き飛ばされて途方に暮れていた。 そのとき、戎様が「舵を帆にせよ」とお告げになられ、舵を帆にして立ててみたところ、暴風雨はおさまり、浜に戻ることができたとの伝説が残っている。 現在、「舵帆の守護」の神様として信仰を集めている。
海水浴場や緑地公園などが整備されている。 公園内には、松林や芝生の広場、レストハウスなどの施設がある。
大阪府貝塚市の二色の浜、ため池、和泉葛城山などに生息する生物や自然について情報収集、展示を行っている。 施設内では、魚介類、昆虫、動植物だけでなく、化石、鉱物の標本展示も行っている。
関西国際空港、岸和田城、だんじり祭りなど全国的に有名な地域ではあるが、泉州の特産物として注目を集めているのは「水なす」。 発祥は、大阪府貝塚市とされ、全国的に販売されている一般的ななすとはほとんど違いはないものの、なにわの伝統野菜の一つに数えられている。 泉州で収穫された「水なす」は、大阪府貝塚市に本店を構える1949年創業の「匠麺と旬の和食 うどんダイニング よさこい」で楽しむことができる。
泉州水なすうどん(そば)
うどんは、冷と温のどちらかを選択することができる。 今回は、冷たいうどんに揚げたての水なすが乗せられていた。 「なす」は「なすび」と呼び、関西を中心に愛されてきた。
水なす工房よさこい
隣に位置する泉州水なすの浅漬け専門店も。
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