かなり上杉る街…米沢は今日も雪だった!
山形かなり上杉る街…米沢は今日も雪だった!
戦国武将の代名詞、上杉謙信を藩祖に持つ名門上杉家。 その城下町米沢を、よりによって真冬にブラブラしましたよ! ただし! 米沢は特別豪雪地帯に指定されているほどの雪国。 雪の降りしきる真冬の散歩は往生しましたけどね!
最初に米沢城が築城されたのは鎌倉時代の中頃というから結構古いですね。 戦国時代は伊達家の本拠、江戸時代は米沢藩の藩庁と上杉家の居城となりました。
松が岬公園
米沢城は別名「松が岬[まつがみね]城」とも呼ばれてました。 それにちなんで城址は松が岬公園の名で整備されました。 出来たのは1874(明治7)年といいますから歴史は優に100年を超えてるんです。
舞鶴橋
米沢城は「松が岬城」以外に「舞鶴城」とも呼ばれてました。 そこで堀に架かる橋は「舞鶴橋」。 雪に覆われ、堀の場所が辛うじて分かるレベルです。
上杉謙信像
藩祖謙信公の坐像…公園内のどっかにあるハズですなんですが。 雪に埋もれて行方不明なので既存写真で代用です。
「毘」と崩し「龍」
上杉謙信が旗印に用いた「毘」と崩し「龍」の文字を黒々と染め抜いた旗が、真っ白な雪景色の中ではためいております。
「伊達政宗生誕の地」の碑
1567年8月3日(永禄10年9月5日)、ここで幼名梵天丸こと伊達政宗は生まれました。 ちなみに伊達家が米沢に本城を構えていたのは、1548(天文17)年から1591(天正19)年まで僅か43年間のことでした。
上杉鷹山像
上杉藩中興の祖、鷹山公の銅像です。 窮乏した藩政を改革するため、ズバ抜けた手腕を発揮して財政難から立ち直らせました。 その手法はアメリカの故ケネディ大統領も参考にしたそうですよ。
明治政府の廃城令で米沢城も例に漏れず取り壊されてしまいました。 明治9(1876)年、その本丸跡に建立されたのが上杉神社。 もちろん祭神は藩祖、上杉謙信です。 江戸時代までは城内で仏式で弔われてましたが、明治政府の神仏分離令に従い神社となりました。
米沢大火
上杉神社は大正8(1919)年の米沢大火で類焼、ほとんどの建物が焼け落ちてしまいました。 現在の社殿が建立されたのは大正12(1923)年。 設計は米沢出身で神社建築の第一人者、伊東忠太博士。 明治神宮の社殿や築地本願寺も博士の設計なんですよ。
観光会館「臨泉閣」
上杉神社に隣接する、米沢観光物産協会と観光案内センターが入居している建物。 上杉景勝の忠臣、直江兼続の巨大像が鎮座しています。 もともと米沢30万石は兼続の所領だったのです
神社境内の横に立つ宝物館「稽照殿[けいしょうでん]」。 上杉家由来の宝物を数多く収蔵しています。 が、冬期間(12月~3月下旬)は休館とのことで残念ながらお休み。 なお、こちらも伊東忠太博士の設計です。
上杉鷹山、上杉景勝、直江兼続を祀った神社です。 鷹山公の坐像が目印!
松岬神社 社殿
撮影し忘れたので、こちらも有り写真で。 もともと鷹山公は謙信公とともに上杉神社へ合祀されていたのですが、後に分かれて松岬神社に移されました。
天地人
NHK大河ドラマ「天地人」にもなった上杉景勝と直江兼続主従の銅像です。 関ヶ原の戦いで西軍の上杉藩は敗れ、徳川家康に会津120万石から米沢30万石へ押し込められてしまいました。 この2人のせいで名門上杉家は存亡の危機に陥ったのですが、地元では誰も悪く言わないですね。
松が岬公園の南東にモダンな近代建築が立っています。 「米沢市上杉博物館」と「置賜文化ホール」が併設された「伝国の杜」。 中へ入ると正面には立派な能舞台がお出迎えです。
置賜文化ホール
単なる「市民会館」ではありません。 コンサートホール、劇場、そして能舞台と3つの顔を持っています。 ホールは能舞台の奥にあり、能を上演するときは舞台が空気でフワッと浮き上がり、ホールへ移動するそうですよ。
米沢市上杉博物館
伝国の杜に入って右に向かうと、そこが上杉博物館。 上杉氏ゆかりの国宝や貴重品が数千点も収蔵されてます。 特に織田信長から上杉謙信へ贈られたと伝わる国宝「上杉本洛中洛外図屏風」は必見! ただし国宝は法律で年60日しか展示が認められてないそう。 本物に会えるのは春と秋の原則年2回、各20日間程度とのことです。
米沢城の南側にある「上杉記念館」は1896(明治29)年、元米沢城二の丸跡に上杉家14代茂憲[もちのり]伯爵邸として建てられました。 しかし大正8年の米沢大火で類焼し、同14(1925)年に今の建屋と庭園が再建。 第二次世界大戦後は上杉家から米沢市に譲渡され、中央公民館として市民に利用されていました。
国登録有形文化財
その後、1979(昭和54)年に観光施設「上杉記念館」として観光客にも開放されました。 現在は国(文化庁)の登録有形文化財に登録。 観光施設としては主に郷土料理の提供や歴史資料の展示など。 公民館的施設としては市民の冠婚葬祭などに利用されています。
やっぱ米沢牛でしょ!
上杉記念館ではランチをやってます。 (ランチ後から夜にかけては要予約) 昔お殿様にお出ししたメニューを再現した献膳料理や、米沢牛を用いたステーキやすき焼きをはじめ、米沢の郷土料理が堪能できますよ!
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でも上杉記念館の料理ってソコソコ値が張るわけで。 そんな贅沢はチョットという皆様の味方… それが米沢ラーメン!
本当はラーメンじゃなく「中華そば」←これ大事です
たまたま見かけて入った「きよえ食堂」はラーメン以外にもご飯物やそば・うどんもある街の食堂です。 米沢市内には米沢ラーメンを出す店が100軒以上もあるそう。 なお、便宜上「米沢ラーメン」と言ってますが、地元ではほとんどの店が「中華そば」と呼んでいるそうです。
実はラーメン大国の山形県
山形県といえば蕎麦が有名ですが、地元ではラーメンのほうが「ご馳走」です。 米沢ラーメンの特徴は細打ちの「手揉み」縮れ麺と、アッサリした醤油味のスープ。 写真は「牛肉ラーメン」。 一口目は薄いとさえ思えるぐらいアッサリしているのですが、食べ進めるうちに醤油タレと牛肉が濃厚にマッチングしていくところが、なかなか美味ウィッシュでした。
というわけで最後は米沢駅。 東京駅から山形新幹線で2時間10分程度です。
駅から城址までは少し遠いです
路線バスで10分ぐらい。 歩くと30分程度かかりますかね。 冬場は雪で非常に歩きづらいので、バスの利用がオススメです。