いつまでも健康な歯を。日本で唯一の歯の神様と出会う旅
大阪いつまでも健康な歯を。日本で唯一の歯の神様と出会う旅
まいど! いつまでも健康な歯でいたいあんさん。 歯でお悩みの皆様に朗報です。 大阪府松原市では、歯の健康を願った「歯 磨き面」があります。 参拝方法は簡単。 歯が痛い箇所、気になる場所をさすると治ると言われています。 ちなみに、大阪府大阪市旭区千林2丁目にある「朝日地蔵尊」でも1週間、無言でお参りをすると治るとも言われ、お地蔵さんのまわりには、お酒のお供えが目立つ。 でも、健康な歯になるためには、まず健康になること。 付近には地元で人気のお店「ラーメン大和」がありまんねん。 なかでも、大和ラーメンセットは、チャーシューがたっぷり3枚乗った豪華なラーメン。 ぜひ、皆様もお立ち寄りくださいませ。 このほかにも、貴重な財産や蘇った遺構など、歴史的にも文化的にも色濃い街です。 ほな、大阪府松原市を散策していきまひょ!
1997年、1月24日から10月30日まで開催された第52回国民体育大会。 会場は、大阪府大阪市、北海道釧路市、秋田県鹿角市とその周辺。 北海道釧路市で第53回国民体育大会冬季大会スケート・アイスホッケー競技会が開幕。 大阪府門真市のなみはやドームで第52回国民体育大会夏季大会「なみはや国体」が開幕。 大阪市東住吉区の長居スタジアムで秋季大会が開幕。 松原市では、なみはや国体を契機に「松原市きれいなまちづくり条例」を施行し。 美化キャンペーンをはじめとした活動などを推進した。
近畿日本鉄道南大阪線の高見ノ里駅下車すぐを走る府道12号線沿いに位置するラーメン・ギョーザのお店「大和」。 コッテリがやみつきになるラーメンのスープが味わえるお店。 店先に掲げられた看板や外観だけでも、美味しさが十分、伝わってくる。 早速、店内に入ってみよう。 「いらっしゃいませ。」 店内には、カウンター席とテーブル席があった。 時刻は、お昼前。 店内は比較的に空いていたが、この日は、一人であったため、カウンター席に座る。 メニューを眺めていると、お子様連れのご家族や夫婦が来店。 続々とテーブル席が埋まっていく。 メニューを決めて、店員さんを呼ぶ。
大和ラーメンセット
セットでおにぎりは無料、そのほか、+200円で焼き飯などが追加できる。 チャーシューは3枚に海苔が乗せられ、スープで汗が流れる。 食べ終わる頃には、2~4名のテーブル席が満席となり、カウンター席も家族連れで埋まっていく。
祭神は、瑞歯別命(反正天皇)、菅原道真、依羅宿禰。 400年代、仁賢天皇の勅命により創建。 大津道「長尾街道」と丹比道(竹内街道)のほぼ中間地点に位置する。 432年、大和政権の第18代反正天皇の宮跡(都跡・丹比柴籬宮)として知られている。 反正天皇の「瑞歯別尊」と呼ばれた美しい歯並びの伝承により、歯の神様として信仰されている。
歯 磨き面
境内では、日本で唯一の歯 磨き面がある。 歯が痛い箇所、気になる場所をさすると治ると言われている。
井原西鶴
井原西鶴の句碑「柴籬宮 むくけうへてゆふ 柴垣の都哉」が建立されている。
丹南藩主高木氏の菩提寺として知られている。 1124年、京都・大原の天台僧・良忍によって融通念仏宗が開基。 1127年、大阪市平野区に建立した大念仏寺を本山とした。 1131年、来迎寺を建立。 1623年、初代藩主高木正次は関東及び近江国を領する旗本であったが、大坂城定番となった。 その後、河内国丹南郡に丹南藩の藩庁として、陣屋を築いた。 6代正陳の時、江戸定府となった。 1699年、所領の一部を下野国足利郡に移された。 1868年、12代藩主高木正坦が藩校の丹南学校を開設したが、1871年の廃藩置県と同時に廃校となった。
柔道、剣道、空手道を中心とした武道場、エアロビクス、ジャズダンス、多目的スペースを中心としたフリールーム、美術、工作、陶芸を中心としたワークショップ、ローラースライダー、ブロック迷路、すべり台、もぐら出入り口、ネットクライミングを中心としたチャレンジドームがある。 チャレンジドームは、松原市在住の小学3年生以下と保護者限定となっている。 池のほとりに立つドーム型は興味をひく外観であると同時に市民のシンボルとなっている。
祭神は、菅原道真、阿保親王。 また、境内には「史跡阿保親王住居址」の石碑が建立されている。 阿保と書いて、「あお」と読む。 地名の由来は、平城天皇第2皇子の阿保(あぼ)親王の別荘地から。
阿保の地と新ケ池
ここには大池「稚児ケ池」があった。 江戸時代、幼児がこの池にはまって亡くなったので、親は稚児を弔うために卒塔姿を池の中に建立した。 これがのちに池の名前の由来となる。
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明治時代、旅館「茶屋竹」が営業していた。 通称「阿保茶屋」と呼ばれ、大正時代まで営業していたと言う。 高野山への参詣道の一つに数えられる中高野街道と伊勢への参詣道の一つに数えられる長尾街道が交差する場所に位置するため古くから多くの人でにぎわっていた。 街道を往来する人々は、ここで、お茶と団子で一息をいれ、各方面に向かったとか。
宮内庁が管理する「大塚陵墓参考地」。 500年代、大和王権の大王墓として築造。 一説によると、雄略天皇陵とも言われている。 「剣菱形」と呼ばれる特異な形状をしている。 古市古墳群に属する巨大前方後円墳の一つに数えられ、大仙陵古墳(仁徳天皇陵)、誉田御廟山古墳(応神天皇陵)、上石津ミサンザイ古墳(履中天皇陵)、備中造山古墳に次ぐ全国第5位。
祭神は、素戔鳴命。 1600年頃、焼失したが、再建された。 明治時代、遷座後、現在地に再建。 江戸時代、境内には、縁結びや安産を願い信仰された神木の松「連理の松」が生息していた。 「連理」とは1本の木の枝が他の木の枝につき、1本の木のように木理が同じになること。
西除川沿いにある遊歩道。 松原市内を南北に流れる西除川に設置された全長約4kmの遊歩道。 西除川は大阪府狭山市の狭山池を始点とする。 遊歩道には、バラ、クチナシ、ハマナス、ツツジ、サルスベリ、松、桜などが植樹され、四季折々の景色が楽しめる。 江戸時代、下高野街道の東側を北流して大阪城付近まで流れていた。 別名、天道川とも呼ばれ、地名「天道の河原」の由来となった。 1704年、大阪府柏原市北流していた大和川が西へ付替えられた。 江戸幕府は大和川の付替え工事を高取藩(奈良県)の植村家敬と柏原藩(兵庫県)の織田信休に命じ、西除川の切違いを行った。
竹内街道の石碑。 大阪府松原市内を東西に横断する街道。 旧堺町方面を始点として、葛城市に鎮座する長尾神社に至る。 古くから、伊勢詣、熊野詣、高野詣などによって発展してきた。
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中高野街道の石碑。 松原市の中央部を南北に縦断する街道。 大阪市平野区にある大念佛寺付近を始点として、大阪狭山市で下高野街道と合流後、高野山へと向かう。 古くから伊勢詣、熊野詣、高野詣などによって発展してきた。