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聖徳太子と仏教の始まり

聖徳太子と仏教の始まり

まいどまいど! 学校の教科書にはほぼ必ず取り上げられる「邪馬台国」「卑弥呼」「聖徳太子」というキーワード。 これらすべてのキーワードは奈良県桜井市でも見ることができますねん。 まず桜井市は邪馬台国ゆかりの地としても知られておまして、ここに邪馬台国があったんちゃうの?という有力な情報も。 また卑弥呼の墓では?とされる古墳もあり、何かと歴史を感じることができますねん。 ほんでまた聖徳太子ゆかりの地としても知られ、芸能の始まりとされる土舞台も現存。 なんやえらいごっついおもろい場所でんな。 市内中心部を伊勢神宮の参詣道(別名、伊勢参宮街道、伊勢本街道、参宮街道)が通り抜け、古くから参詣道として賑わいを見せてきたとも。 その他、仏教の始まりの地としても知られておまして市内には「仏教公伝の地」も。 奈良県桜井市の特産品の一つ「三輪そうめん」だけやない桜井市の魅力をほんの一部ですが、ご紹介していきまひょ。

土舞台
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土舞台

土舞台は聖徳太子が深くかかわったとされ、のちに日本芸能の発祥の地として知られている。 古代チベットやインドの仮面劇として知られる伎楽は西域を経て中国に伝わった。 その舞は滑稽卑俗な類のものとされた。 土舞台は日本最初の国立劇場で、聖徳太子は国立演劇研究所をも併設して芸能文化のため尽くされたとした。

安倍文殊院
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安倍文殊院

華厳宗の寺院。 山号は安倍山。 本尊は文殊菩薩。 開基は安倍倉梯麻呂。 京都府の切戸文殊・山形県の亀岡文殊とともに日本三文殊の一つに数えられる。 ちなみに「三人寄れば文殊の知恵」で知られる。 645年、大化の改新の時、左大臣として登用された安倍倉梯麻呂が孝徳天皇の勅願もあって安倍氏の氏寺として安倍山崇敬寺(安倍寺)を建立したのが始まり。 平安時代、多武峰の妙楽寺(談山神社)の僧兵によって焼失し、移転(旧寺地は安倍寺跡の史跡公園として整備)。 東大寺の末寺の一つ「崇敬寺」は安倍倉梯麻呂の建立、「崇敬寺」の別名が「安倍寺」であったとも。 鎌倉時代、崇敬寺智足院の別院・満願寺に移転。

安倍史跡公園
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安倍史跡公園

公園内には遊具や砂場などが整備され、市民の憩いの場となっている。 かつて当地には安倍文殊院の前身にあたる安倍寺があった。 645年、大化の改新の時、左大臣として登用された安倍倉梯麻呂が孝徳天皇の勅願もあって安倍氏の氏寺として安倍山崇敬寺(安倍寺)を建立したのが始まり。 平安時代、多武峰の妙楽寺(談山神社)の僧兵によって焼失し、移転(旧寺地は安倍寺跡の史跡公園として整備)。 また、鎌倉時代に建造されたとされる平窯跡があり、安倍文殊院建立用の瓦が製造された説も。

上之宮遺跡(聖徳太子上宮伝承地)
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上之宮遺跡(聖徳太子上宮伝承地)

500年代、聖徳太子によって上之宮が造営。 当初、建物は小規模であったが、大邸宅として整備されたとも。 遺構中央部の柱跡は高貴な人の建物に用いられる二重の長方形状の四面庇の大型建物遺構。 北側に長棟の脇殿を配し、東側と南側を柵列で囲み、それぞれに門が設置。 庭園部分からは日本最古の木簡が出土。 鼈甲や木器、果実の種なども出土し、桃やスモモの核が多量に出土。

多武峰街道
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多武峰街道

談山神社の一の鳥居から、五十二石の町石をたどって大化改新のときの中大兄皇子と藤原鎌足が蘇我氏討伐を話し合ったといわれる談山神社までを結ぶ街道。 他に松尾芭蕉や本居宣長などが歩いたとも。

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