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相撲発祥の地・桜井市で見つけた邪馬台国

相撲発祥の地・桜井市で見つけた邪馬台国

まいどまいど! 今も議論が絶えない歴史上の謎の一つ「邪馬台国」。 謎は近畿説?九州説?から始まり、近畿説を有力説とした場合、邪馬台国は現在の奈良県桜井市にあったんちゃうの?いう説も。 せやけど、桜井市内には邪馬台国との縁が深いとされる纏向遺跡がおまして、もしかすると邪馬台国と深い縁のある卑弥呼と関係があるんちゃう?みたいな古墳も。 おもろいでしょう? ほんで、それ以外にも卑弥呼・聖徳太子ゆかりの場所があちこちに点在してはります。 たとえば、桜井市は芸能・相撲の発祥地では?とも言われ、土舞台や相撲神社も鎮座。 歴史にロマンを感じるっちゅうのは、まさにこのことを言うのかもしれまへんな。 ほんでまた、相撲神社には力士が四股を踏んでいる姿を模った像が設置されてますねん。 ここはまさに相撲の聖地、ファンもぎょうさん訪れてはんのとちゃうやろか。 第11代垂仁天皇の宮の伝承地、纒向遺跡も。 纒向遺跡は古墳時代の大規模な集落遺跡として知られ、日本最初の「都市」とも知られてまんねん。 纒向遺跡辻地区では複数の掘立柱建物跡の他、桃の種が出土した大型土坑などが発掘調査により確認されたとか。 おもろいでホンマ

神籬(ひもろぎ)遺跡
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神籬(ひもろぎ)遺跡

神籬は神道において神社や神棚以外の場所で祭祀を行う場合、神を迎えるための依り代となるもの。 古来、自然の山や岩、木、海などに神が宿っているとされ、信仰の対象としてきた。 古代、神道では神社を建立、社殿の中に神は祀ることはなく、祭りの時々には神を招いて執り行った。 その際、神を招くための巨木の周囲に玉垣をめぐらして注連縄で囲うことで神聖を保ち、神籬と呼ばれた。 次第に神社が建てられるようになり、祭りも社殿で行われるようになった。 形式は八脚台の上に枠を組み、榊の枝を立て、紙垂と木綿を付けたもの。 「ひもろぎ」(「ひ」は神霊、「もろ」は天下るの意の「あもる」の転、「き」は木の意)。

珠城山古墳群
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珠城山古墳群

平坦地に接する丘陵端に3基の前方後円墳が営まれ、珠城山古墳群と呼ばれた。 第1号墳は後円部南側に開口する横穴式石室が主体。 玻璃製小玉、琥珀製棗玉、奥壁ぞいに須恵器・土師器、馬具・太刀が配置。 第2号墳は古墳群中最大規模。 第3号墳は採土工事により消失。

垂仁天皇纒向珠城宮跡
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垂仁天皇纒向珠城宮跡

第11代垂仁天皇の宮の伝承地。 御間城天皇(崇神天皇)の第三皇子。 生母は皇后の御間城姫命(大彦命の娘)にあたる。 兄の豊城入彦命をこえて、24才で皇太子となる。 父帝の崩御後即位、彦坐王(天皇の伯父)の娘の狭穂姫命を皇后とした。 皇后の兄の狭穂彦王が叛乱を起こし、皇后も従って兄と共に焼死。 丹波道主王の娘の日葉酢媛命を新たな皇后として大足彦尊(景行天皇)、倭姫命らを得た。 五大夫を集めて祭祀の振興を誓い、伊勢神宮、武器奉納、相撲、埴輪、鳥飼といった様々な文化の発祥に関わったとも。

纏向遺跡
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纏向遺跡

纒向遺跡は古墳時代の大規模な集落遺跡として知られる。 日本最初の「都市」とも。 纒向遺跡辻地区では複数の掘立柱建物跡の他、桃の種が出土した大型土坑などが発掘調査により確認された。

柿本人麻呂屋敷跡
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柿本人麻呂屋敷跡

柿本人麻呂は飛鳥時代に活躍した歌人。 後世、山部赤人と共に歌聖と呼ばれた。 三十六歌仙の一人で、平安時代からは「人丸」と表記されることも。

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