せやせや!関西が好っきゃねん
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近鉄大和西大寺から眺める平城京の街並み

近鉄大和西大寺から眺める平城京の街並み

まいどまいど! 今回は関西でも一位、二位を争うほどの人気を持つ奈良県奈良市内中心部を案内していきまひょ。 奈良市内には私鉄最大の営業距離を誇る近畿日本鉄道が東西に走り抜け、やがて大和西大寺駅へ。 大和西大寺駅には飲食店や雑貨店などが営業する商業施設があり、その一角には展望台。 ここからは近畿日本鉄道や阪神電気鉄道の鉄道車両や周辺の街並みを眺めることができ、人気スポットともなってまんねん。 さて、奈良県を代表する観光スポットっちゅうたら、やっぱり平城京跡やおまへんでっしゃろか。 ここでは広場・公園として整備され、広い敷地内には大きな博物館も設置され、平城京の歴史や文化など詳しく学ぶことができまっせ。 ほんでから周辺には、興福寺とともに法相宗の大本山として知られ、東大寺、西大寺、元興寺、大安寺、法隆寺と並ぶ南都七大寺の一つに数えられる薬師寺も。 薬師寺以外に、奈良時代、東大寺が総国分寺であったのに対し、法華寺は日本の総国分尼寺とされた法華寺。 玄昉が唐からの帰路、暴風雨に遭遇、「海龍王経」を唱えて帰国を果したことに因んで、寺号が海龍王寺となった場所も。

法華寺
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法華寺

光明宗の本山の寺院。 奈良時代、東大寺が総国分寺であったのに対し、法華寺は日本の総国分尼寺とされた。 別名、法華滅罪之寺。 本尊は十一面観音。 開基は光明皇后。 元は真言律宗に属したが、1999年に同宗を離脱し、光明宗と称する。 藤原不比等の邸宅跡に造られた光明皇后ゆかりの門跡尼寺。 不比等の没後、娘の光明子・光明皇后が相続して皇后宮とした。 741年、聖武天皇は国分寺・国分尼寺建立の詔を発した。 745年、皇后宮を宮寺としたのが法華寺の始まり。 平安京遷都後は衰退。 1180年、平重衡の兵火では被害を受けた。 鎌倉時代、東大寺大仏殿の再興を果たした僧・重源は、法華寺の堂宇や仏像を再興。

海龍王寺(中金堂)
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海龍王寺(中金堂)

真言律宗の寺院。 本尊は十一面観音。 別名、隅寺、隅院、角寺、角院とも。 710年、平城遷都の際、藤原不比等は土師氏から土地を譲り受け、邸宅を構えた際、北東隅にあった寺院は壊さずに残した。 この寺院が海龍王寺の前身。 不比等の没後、娘の光明皇后が相続し、邸宅は皇后宮となる。 皇后は遣唐留学僧・玄昉が仏法を携え、帰国を願って寺院の伽藍を整備。 734年、玄昉が帰国、聖武天皇・光明皇后は仏教や鎮護国家の基礎となる仏教政策を学んだ玄昉を重用し、内裏に近いこの寺院の住持に任じた。 玄昉が唐からの帰路、暴風雨に遭遇、「海龍王経」を唱えて帰国を果したことに因んで、寺号が海龍王寺となった。

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