土佐藩下屋敷跡
東京都品川区東大井3丁目18-34ペリー艦隊来航が7月。龍馬の将来を決定する運命的な出来事が、土佐から来たばかりの若い龍馬に起きた、ということが、面白い。
黒船騒ぎに対応するために、江戸湾岸に藩邸を持つ諸藩に動員がかかる。土佐藩は、今の立会川駅近くに下屋敷をもっていたため、龍馬もその下屋敷に10月まで動員され勤務することになる。
土佐藩は、幕府にここ砂川に砲台を構築することを申し入れ幕府から許しを得た。その砂川砲台の担当の一人に坂本龍馬が居た。
そして、その下屋敷から土佐の家族に手紙を書いたのが現在も残されているが、それが発見されている龍馬の書いた最も古い手紙になっている。