内川新田開発記念碑
神奈川県横須賀市久里浜4丁目131667年、砂村新左衛門が内川新田を開拓する際、川に島を築き、両岸から2本の橋を架けたことから、夫婦橋と命名。
砂村新左衛門は越前国(福井県)の砂畑を開拓、新村(鯖江市新町)とした福岡新兵衛家の分家の出身。
土木事業に携わる傍ら新田開拓の技術を習得、全国各地に赴いた。
大坂(摂津国)の上福島(大阪市福島区)での新田開拓を経て、関東に進出。
相模国三浦郡(横須賀市)の内川入海の開拓を進めていたが、明暦の大火後、葛飾郡の宝六島(江東区)において新田開拓(宝六島新畠、後の砂村新田)、三浦新田(内川新田)開発、吉田勘兵衛が再着手して推進していた武蔵国久良岐郡(横浜市)野毛新田(後の吉田新田)の開発も。