熊襲の穴
鹿児島県霧島市隼人町嘉例川(景行天皇の息子)ヤマトタケルの命の西征
古事記によると、
“そこで天皇は、その御子の亂暴な心を恐れて仰せられるには「西の方にクマソタケル二人がある。これが服從しない無禮の人たちだ。だからその人たちを殺せ」と仰せられました。(中略)そこでクマソタケルの家に行つて御覽になりますと、その家のあたりに、軍隊が三重に圍んで守り、室を作つて居ました。”
抜粋: 古事記 現代語譯古事記
稗田の阿禮、太の安萬侶 武田祐吉訳
この辺の人々は大和に征服されるまでは熊襲と呼ばれていたが征服さえれた後、ハヤトと呼ばれるようになった。現在、熊襲穴として保存されている。