ドラえもんと藤子F不二雄先生が出会ったまち
富山ドラえもんと藤子F不二雄先生が出会ったまち
まいどまいど! 今も昔も国民的人気アニメの一つといえば、ドラえもんやおまへんやろか。 黄色の子守用ネコ型ロボットとして知られるドラえもんは2112年9月3日生まれ。 お腹につけた四次元ポケットから飛び出すタケコプターやどこでもドアなどに代表される不思議な道具はテレビや漫画を読んでいる子供たちの心を長年にわたって魅了してきた。 そんな人気アニメドラえもんを描いてきた藤子・F・不二雄先生の出身地として知られる富山県高岡市。 少年時代は当地で過ごし、上京するその日までの足跡を散策する今回のお出かけプラン。 忍者ハットリくんの電車やドラえもんの路面電車を眺めながら、ドラえもんの散歩道んは、ドラえもんの他、野比のび太とその同級生である源静香、ジャイアン(剛田武)、骨川スネ夫らと出会えるなど、藤子F不二雄先生のが歩んだかつての面影を偲ばせる。 その他、大伴家持のゆかりの地としても知られ、高岡駅前には大伴家持の像が建立されている。 そして周辺には、前田利家や前田利長などゆかりの高岡城址や宿場町としての賑わいを見せた御旅屋通、高岡大仏が建立された大仏寺、瑞龍寺などをめぐっていく。
2009年、利長くんは富山県高岡市の開町400周年記念PRマスコットキャラクターで、仮想国家「立山連邦王国」の初代大統領に就任。 高岡城を築いた加賀藩2代目藩主の前田利長がモチーフ。 家持くんは、キャラクターデザイナーが同じ人物なので兄にあたる。 身長200cm、体重65kg。 好きなものは、タカオカコシノヒガン、万葉米、高岡の水、高岡丼、高岡コロッケ、高岡御車山祭、高岡歴史双六。 誕生日は、9月13日(1609年9月13日は、前田利長公が高岡城に入城した日)。 尊敬する人は、加賀藩二代藩主前田利長公、三代藩主前田利常公。 特徴は、銀鯰尾兜をモチーフにした、長い兜。
富山県高岡市の高岡駅から富山県氷見市の氷見駅を結ぶ西日本旅客鉄道(JR西日本)氷見線。 2004年、氷見線と城端線では氷見市出身の漫画家藤子不二雄Ⓐの漫画「忍者ハットリくん」のキャラクターが描かれたラッピングを施した「忍者ハットリくん列車」が運行開始。 2008年、案内放送では、主人公ハットリくんが登場し、沿線の観光案内を行っている。
その他、ラッピング
2012年、氷見・城端線の沿線4市のラッピング列車を施した列車「NANTO君列車」のキャラクターが描かれたラッピングを施した高岡編成「あみたん列車」、砺波編成「チューリップ列車」、南砺編成「NANTO君列車」、氷見編成「キット君列車」が運行開始。
ベル・モンターニュ・エ・メール
臨時快速列車のべるもんた。 由来は、このエリアの特徴である「美しい山と海」をフランス語に訳した「ベル・モンターニュ・エ・メール」。 北陸デスティネーションキャンペーンに合わせて観光列車として運行開始。 コンセプトは、走るギャラリー。 山と海の変化に富んだ両線の美しい車窓を1枚の絵画のように演出するデザイン。 車内では食のサービスとして、「ぷち富山湾鮨セット」(提供区間限定)と「ほろ酔いセット」が。
前田利家
愛知県の荒子城主前田利春の四男で、織田信長に仕えた。 槍の名手であったため「槍の又左」の異名を持った。 柴田勝家の与力として、各地を転戦し、能登一国を拝領し大名となる。 本能寺の変により信長は明智光秀に討たれ柴田勝家に付くが、羽柴秀吉に臣従した。 豊臣秀吉の天下平定事業に従軍し、加賀国・越中国を与えられ加賀藩百万石の礎を築く。 豊臣政権五大老に列せられ、豊臣秀頼の傅役(後見人)に任命。
高岡軌道線
高岡市の高岡駅停留場と射水市の六渡寺駅を結ぶ軌道路線。 新湊港線と一体の直通路線「万葉線」として運行される。 高岡軌道線は、富山地方鉄道によって設立され、1948年に地鉄高岡と伏木港間が開業したことから当時は伏木線(または高伏線)と呼ばれていたとか。
高岡駅交通広場に、高岡市出身で漫画家藤子・F・不二雄先生の生誕80年を記念して、代表作「ドラえもん」をモチーフとした「高岡市ドラえもんポスト」が設置。 このポストは、高岡の伝統産業である「高岡銅器」により製作。 先生は幼少時代から熱心に漫画を描き続け、東京へと上京するまで、投稿を続けていた。 高岡市内に設置された郵便ポストに投函された作品には、漫画への情熱、漫画家への夢が託され、夢の実現へと扉を開いた。 そんな夢の実現の実現に向けて高山市では、投函された葉書または手紙のうち、私的郵便物を対象にドラえもんが郵便物とともに夢を運ぶイメージをデザインした新たな記念消印が押印される(年賀状除く)。
仏殿、法堂、山門の3棟は国宝に指定。 加賀藩2代藩主前田利長織田信長・信忠らの追善のため、金沢に創建した宝円寺(法円寺)が瑞龍寺の前身。 利長は実子がなく、家督を異母弟の利常に譲り、自らは隠居、金沢から富山に移転。 富山城が焼失、高岡城を築城。 法円寺は高岡に遷座。 前田利常は、法円寺を利長の菩提寺とし、利長の法名瑞龍院に因んで寺名を瑞龍院と改称。 瑞龍院の伽藍に着手、加賀藩お抱えの大工頭・山上善右衛門嘉広が棟梁となって進められた。 山門、仏殿、法堂が一直線に並び、左右に回廊を巡らせて諸堂を対称的に配置する伽藍配置は中国の径山万寿寺にならったもの。 イベントでは、「夜の祈りと大福市」が開催。
746年、「万葉集」の代表的歌人として知られる大伴家持が越中国守として、5年間、富山県高岡市で在任した。 当地で詠んだ歌は220余ともいわれ、万葉のふるさととしての一面も持っている。 二上山では、「玉くしげ二上山に鳴く鳥の声の恋しき時は来にけり」と詠んだといい、現在は、銅像が建立されている。
ウィング・ウィング高岡広場にある「ドラえもんの散歩道」には、高岡市出身で漫画家藤子・F・不二雄先生の作品の一つとして知られる国民的人気アニメ「ドラえもん」に登場するキャラクターの像が12体設置されている。
ドラえもん
ネコ型のロボット・ドラえもん。
野比のび太
10才の小学生・野比のび太。
源静香
野比のび太の同級生・源静香。
剛田武
野比のび太の同級生・剛田武。
骨川スネ夫
野比のび太の同級生・骨川スネ夫。
- アプリで地図を見る
江戸時代、加賀藩で藩主の鷹狩、民情視察の際に宿泊や休憩のために使用された施設「御旅屋」。 参勤交代の際、宿泊施設として使用されていた。 高岡御旅屋もその一つに数えられ、現在の御旅屋通りに面して建てられていたとか。 3代藩主前田利常から5代藩主前田綱紀の時代に使用されていたが、高岡御旅屋を取り壊し、高岡御旅屋御虫乾所(武具の虫干しをする施設)を開いたが、取り壊されて御武具御土蔵(武具の倉庫)が開かれた。 1868年、御武具御土蔵の武具が金沢に移され、土地は藩庁から民間へ売却された。
メルヘンな町
現在は「御旅屋町」「御旅屋通り」(高岡最大のアーケード街)などの地名にその面影を残し、随所に「桃太郎と仲間たち」や「楽隊の窓」などの像が建立され、メルヘンな町として注目を集めている。
山号は鳳徳山。 創建時期など詳細は不明となっている。 1200年代、高岡大仏が建立。 1609年、当地に遷座。 1745年、一時衰退したが、坂下町の極楽寺の第15代住職等誉上人と、良歓により中興された。
高岡大仏
高岡大仏は、東大寺(奈良県)の通称、奈良の大仏と高徳院(神奈川県)の通称、鎌倉大仏と並ぶ日本三大仏の一つ。 小杉大仏、庄川大仏と共に越中三大仏の一つ。 銅造の阿弥陀如来の坐像で、全体の高さは15.85m。 台座の内部には回廊があり、地獄絵などが展示。 1900年に焼失した木造大仏の頭部が鎮座。 1933年、歌人の与謝野晶子が訪れ、高岡大仏を「鎌倉大仏より一段と美男」と評したとか。
日本100名城の一つに数えられ、日本さくら名所100選に選定されている。 現在、城跡は高岡古城公園となっている。 1605年、富山城に隠居した初代加賀藩主・前田利長のとき、城下の火災が原因で建築物一部を焼失、利長は魚津城に移った。 利長は築城の方針に伴うため、資材調達を小塚秀正ら、現地奉行を神尾之直らに命じ、魚津城から築城の指揮を取り、同時に城下町を造成。 設計は高山右近。 利長は「関野」を「高岡」と改め、高岡城に入城。 殿閣は伏見城秀次邸の良材を再利用したとか。 現在、付近は高岡古城公園となっていて、芸術の森や高岡古城動物園、蒸気機関車、休憩所などが設置されている。
前田利長
利長の死去後、一国一城令により、高岡城は廃城(小松城を築城)。 廃城後、高岡町奉行所の管理下で、加賀藩の米蔵・塩蔵・火薬蔵・番所などが置かれた。 街道の付け替えの際、濠塁がそのまま残る城址を街道から見透かされるのを避けるため町屋(定塚町)を移転して目隠しにした。 利長の菩提を弔うために建立された瑞龍寺や周囲に堀を備える利長の墓所自体も高岡城の南方の防御拠点としての機能を併せ持つものとして配置。
蒸気機関車
明治時代、日本初の鉄道が開通。 新橋と横浜とを結ぶ。 当時、蒸気機関車は蒸気船に対して陸蒸気とも呼ばれ、かごや馬車が一般であった時代に革命を起こした。 富山県では、中越線(現在の城端線)が敷設され、北陸線が米原から高岡まで開通。 1941年、蒸気機関車展示場に設置されたSL・C11217号が製造。 多治見・名古屋の両機関区、石川県の七尾機関区、富山第一機関区高岡支局の城端線や氷見線で運転された。
高等学校付属という全国的に珍しい施設。 美術館は、創立100周年の記念事業の一環として旧青井記念館を移転、新築した。 旧青井記念館は、株式会社丸井の創業者で、卒業生の故青井忠治氏の寄付により建てられた。 美術作品は、明治時代の教材として譲り受けたものの他、教職員と生徒の卒業制作品などが展示されている。 内部は毎年10月中旬に行われる学校祭「尚美展」で公開される。 なかでも、重要無形文化財保持者(人間国宝)金森映井智、日本芸術院賞受賞の佐々木大樹、郷倉千靱、山崎覚太郎、山室百世、大角勲、藤森兼明、各氏の作品も所蔵している。
1994年、開館。 美術工芸、金属造形などが展示、保存されている。 1951年、高岡産業博覧会が開催され、美術館パビリオンとして、高岡古城公園内に木村得三郎の設計により建設され、公立美術館として開館。
- アプリで地図を見る
漫画「オバケのQ太郎」「パーマン」「ドラえもん」などの作品で知られる藤子・F・不二雄氏の博物館。 博物館の入り口は、ドラえもんの秘密道具の一つとして知られる「どこでもドア」がモチーフ。 施設内では、手作り幻燈機を再現し、そこから映し出す「ふるさと高岡の記憶」として、少年時代の写真や当時の風景などが紹介されている。 少年時代は漫画を描く日々が続き、14歳の時に、手作り冊子「妖怪島」の作品を完成させた。 漫画家を目指して上京した時の当時の貴重なカバンや愛用品などが展示されている。
ドラえもんと記念撮影
富山県高岡市の伝統産業「高岡銅器」により製作されたドラえもん像などが展示され、記念撮影を楽しむことができる。
ドラえもんと記念撮影
富山県高岡市の伝統産業「高岡銅器」により製作されたドラえもん像などが展示され、記念撮影を楽しむことができる。