
オリックス・バファローズを応援しよう!京セラドーム大阪で野球観戦
大阪オリックス・バファローズを応援しよう!京セラドーム大阪で野球観戦
まいどまいど! プロ野球チーム・オリックス・バファローズの本拠地として知られる京セラドーム大阪。 阪神タイガースの試合も開催されるさかい、「野球観戦で行ったことがおまっせ」という野球ファンもぎょうさんいたはるのとちゃいますやろか。 まあ、なんっちゅうても、京セラドーム大阪周辺には下町らしい雰囲気が漂うキララ九条商店街がおまして、ショッピングを楽しむ買い物客の姿も。 また、かつて川口には港が設置されたといいかつては国際港として機能した歴史も。 時は流れ、その名残が今も残ってはりまんな。 ほんでから、当時は海外から多くの船が行き交い、川口居留地と呼ばれる町が形成され、ぎょうさんの外国人が街を闊歩していたことでっしゃろな。 これが今の神戸港(兵庫県神戸市)の前身にあたりまんねん。 せやさかい、歴史的観点から大阪・川口居留地と兵庫・異人館がどことなく似てはります。 この他、日本で初めてとなる地下通路「安治川隧道」と呼ばれるトンネルがおましたり、ぎょうさんのお魚と新鮮な魚介類のお食事が楽しめる中之島漁港があるなど、見どころがぎょうさんおまっせ! ほな、楽しんでってや〜!
多目的ドーム球場兼複合レジャー施設。 パシフィック・リーグのオリックス・バファローズの本拠地。 セントラル・リーグの阪神タイガースも主催公式戦の一部を開催。 1997年、地上9階、地下1階として完成。 パシフィック・リーグの大阪近鉄バファローズの本拠地となる。 1997年、阪神タイガースは地方開催として本拠地の阪神甲子園球場が高校野球の大会で使われる期間などを中心に主催公式戦を開催している。 2005年、オリックス・バファローズの本拠地となった。 プロ野球やコンサート、展示会などのイベントが開催される他、草野球利用目的の一般貸し出しも行われている。 こけら落し公演を行ったのはglobe。
バファローズとキン肉マン
プロ野球・パシフィック・リーグ(パ・リーグ)の「オリックス・バファローズ」とゆでたまご氏による日本の漫画作品「キン肉マン」によるコラボ。 山本投手、吉田正選手の横にはバッファローマンが登場。 バッファローマンはバッファローをモチーフにした超人であるとか。
出演者手形コレクション
2階のスタジアムモールでは2014年、出演者手形コレクションの展示スペースが設置。
バファローズSQUARE
2階のスタジアムモールでは2014年、(前身球団にあたる阪急ブレーブス・近鉄バファローズ・オリックス・ブルーウェーブなど)オリックス・バファローズの歴史に関する展示スペースが設置。 優勝シーンを写真や映像で紹介の他、歴代名選手の野球用具やユニフォーム、現役選手の手形等を展示。
阪急ブレーブス・近鉄バファローズ・オリックス・ブルーウェーブなど)オリックス・バファローズに関するグッズを中心に販売。
ガス専門の企業博物館。 正式には、hu+gMUSEUM。 1階から4階までは「ご家庭のお客さま向けフロア」。 1階は大阪ガスの安心!発見!を楽しく体感できるフロア。 2階はガスコンロの体感コーナー、ハグビジョン(日本初、2重構造のキューブ型映像装置)、ハグミュージアム カフェ、イベントスペース、スイーツテラス、創エネギャラリー、スマート ハグハウス、インフォメーションなど。 3階はライフスタイルギャラリー、リビング・バスギャラリー、ミスト体感ルームなど。 4階はキッチンスタジオ、キッチンギャラリーなど。 5階は「業務用厨房フロア」。 展示・実演ルーム、セミナールーム、体感ルームなど。
業務用に試乗
常時、展示されている大阪ガスの業務用トラック。 ここでは自由に試乗することができる。
えねまる
2階のインフォメーションでは、大阪ガスのマスコットキャラクター「えねまる」くんと記念撮影を楽しむことができる。
近畿旅客船協会が運営する船着場。 不定期にイベントが開催され、遊覧船などが発着する。
船着場
近畿旅客船協会が運営する船着場。
祭神は、底筒男命、中筒男命、表筒男命、息長足媛命。 かつて、九条には、九条島が存在していた。 九条島は、淀川の河口に土砂が堆積してできた多くの島の一つに数えられている。 1624年、竹林寺は九条島を開いた香西皙雲によって勧請。 社名の由来は、荊棘を駆除して社殿を建立したことから茨の字を冠したとも。 または、菟原郡の住吉神社を分祀したため、菟原が茨と転訛したとも。 新田や河川の守護神として、小祠を建立。 豪商・池山新兵衛の勧請により、楠のそばに位置していた。 1945年、第二次世界大戦の大阪大空襲によって焼失。 現在もご神木「焼き楠」として大切に保存されている。
かつて、九条には、九条島が存在していた。 九条島は、淀川の河口に土砂が堆積してできた多くの島の一つに数えられている。 朝鮮通信使は朝鮮からの友好使節で、徳川将軍の代替わりのときに日本を訪れた。 計12回来日し、多い時には、500名以上を数えた。 朝鮮通信使は、釜山を出発、対馬、壱岐から瀬戸内海を通り、九条島から川口で上陸、船を乗り換えて淀川を上った。
梅本橋
1870年、尻無川の渡し舟「戎島渡」の廃止に伴い、梅本橋を架設。 当時、川口周辺は外国人居留地として整備され、付近の梅本町にも多くの外国人が来住。 人形浄瑠璃、芝居小屋等も建設。 1915年、大阪市電・松島安治川線の敷設に伴い、橋は架け替えられ、中央の市電軌道敷が整備。 1950年、ジェーン台風直後から付近の埋め立て工事が行なわれ、梅本橋は撤去。
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1870年、尻無川の渡し舟「戎島渡」の廃止に伴い、梅本橋を架設。 当時、川口周辺は外国人居留地として整備され、付近の梅本町にも多くの外国人が来住していた。 松島には、人形浄瑠璃、芝居小屋等も建設された。 梅本橋は、川口居留地と松島地域を結ぶ木製の橋で、梅本町から名づけられた。 一説によると、竹林寺境内にある名樹「浪速の香の梅」が由来とも。 1915年、大阪市電・松島安治川線の敷設に伴い、橋は架け替えられ、中央の市電軌道敷が整備された。 1950年、ジェーン台風直後から付近の埋め立て工事が行なわれ、梅本橋は撤去された。
1868年、大阪開港と同時に、外国人居留地があった地域。 別名、「旧大阪居留地、旧大阪川口居留地」と呼ばれている。 当時は、街路樹や街灯、洋館が並ぶ西洋の街となっていた。 他に、「大阪府庁舎」や「大阪市役所」、洋食店、中華料理店が立ち並ぶようになり、文明開化・近代化の象徴だったと言う。 その後、神戸市内にある外国居留地へ移住したと言う。 現在、居留地時代の建物は存在しない。
日本聖公会川口基督教会
1915年、川口キリスト教会が再建され、当時の街の面影を伝えている。 別名、日本聖公会川口基督教会と呼ばれ、ウィリアム・ウィルソンが設計し、国登録有形文化財に登録されている。
「イベントから日常へ」を合言葉に、新鮮で旬の魚介類を楽しめる「中之島漁港」を開業したとか。
中之島漁港の水槽で楽しむ
この名の通り、新鮮な魚介類が乗った海鮮丼などが名物で、長蛇の列が。 また、真っ白のテントの中にはいくつもの水槽が並べられ、生きの良い魚や蟹を見物できた。 漁港内では新鮮な魚介類の味を楽しめる「中之島みなと食堂」がある。 魚介類は、遠くは北海道・九州から。 地元の関西では、兵庫県明石市の明石浦漁港、兵庫県淡路市の岩屋漁港から。
江戸時代、九条島は、川の流れを遮る場所に位置し、洪水が頻繁に発生。 土砂が堆積し、舟運にも不便をきたしていた。 1684年、河村瑞賢氏が水路を開削し、安治川と命名。 1698年、富島、古川の新地開発、安治川橋が架設。 大阪では外国との貿易が盛んになり、川口周辺は外国人居留地として開国整備。 1868年、大阪開港と共に外国人に競売。 洋館や舗装道路が建設、文明開化の拠点となった。 1873年、安治川橋を架け替えた。 中央二径間は西欧から輸入された鉄橋で、高いマストの船が航行する時には、橋桁が旋回する可動橋。 当時の人々はこの旋回する様を見て「磁石橋」と呼んだ。 1885年、洪水が発生し、撤去。
1853年、大阪港として開港した。 江戸時代、「天下の台所」と言われ栄えていた大阪の船着場の一つである。 幕府の官用地として船番所・船蔵や、船奉行をはじめ与力・同心などの屋敷があったと言う。 その後、機能を大阪市港区へ移転した。
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1869年、東京―横浜間に日本初の電信線が架せられた。 1870年、大阪市(川口)―神戸市(大手町)に電信が開通した。 当初は「伝信」と書き、川口伝信局が置かれた。
1867年、大阪税関の前身である「川口運上所」が設置された。 運上所とは、港への物の出入りを管理する機関である。 1872年、大阪税関へと名称を変更した。 1920年、大阪税関は港区に移転。 現在、この付近には大阪税関富島出張所がある。
1867年、日本は鎖国を解き、大阪税関の前身である「運上所」が設置された。 「運上所」とは、港への物の出入りを管理する機関である。 1868年、五代友厚氏や陸奥宗光氏により、開所した。 1872年、大阪税関へと名称を変更した。 1920年、大阪税関は港区に移転。 現在、この付近には大阪税関富島出張所がある。
「船手」とは、船舶の出入りを管理・掌握することや停泊している船を掌握することを職務とする江戸幕府の役職である。 1620年、この地に設置され、中心的施設である「船手会所」がここにあった。 他に、船の出入りの管理を実際に行っていた「船番所」が3箇所、設置された。
かつてこの付近は、外人雑居地としてにぎわっていた。 1879年、レンガ造りでゴシック様式の礼拝堂が完成した。 また、当時としては珍しい中華料理店や理髪店は、中国人が経営していたという。
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かつて九条島(衢攘島)はデルタ地帯だった。 1684年、幕府は河村瑞賢に命じ、淀川の改修工事により開削を始めた。 新川と呼ばれていたが、安治川と改名された。 川が完成し、同じく西成郡九条村の一部が西九条となった。 この川は、埋立てられた。 1624年、創建されたが移転した。 1848年、市岡新田のため、現在地に移転した。
ナインモール九条で活躍するキャラクター「にゃいん」。 招き猫がモチーフ。 輪郭と尻尾が数字の9(ナイン)、額はアーケードをイメージしているという。 ナインモール九条など、多くのイベントに登場する。
大阪市西区にあり、プロ野球・オリックスバファローズの本拠地としても知られる大阪ドーム(現在、京セラドーム大阪)からほど近い場所にあるのが、阪神電車阪神なんば線と地下鉄中央線の九条駅。 この駅の周辺には商店街があり、野球ファンをはじめ、多くの買い物客でにぎわう場所としても知られている。 付近には、大型ショッピングモールがあるが、ここの商店街には多くの飲食店や雑貨店、喫茶店などが立ち並び、昔ながらのレトロな雰囲気が漂っている。 2人以上であれば個室居酒屋で周囲を気にせずゆったりとお酒の時間を楽しめると人気を呼んでいる
百日鶏
とれたて鮮魚刺身と鶏黒炭焼、名古屋名物の手羽先唐揚げ、博多名物のもつ鍋が人気。 その他、兵庫名物の但馬鶏、百日鶏などがメニューに並ぶ。
とんぺい焼き
大阪名物のとんぺい焼きも味わうことができる。
たこ焼きやお好み焼きなどをはじめとする飲食店や喫茶店、メガネなどを販売する雑貨、薬局などが立ち並ぶ。 イメージキャラクターは、星の形をした「キララ」くん。
チキンの唐揚げやイカリング、ヘレカツ、ポテトフライなどの人気商品が並ぶ。
サンドイッチ
チキンが挟まれたサンドイッチとまたはトマトを挟んだ野菜たっぷりのサンドイッチ。 今回は、野菜たっぷりなサンドイッチをご紹介。 フワフワの玉子を中央に、おかずにぴったりの一品。 ちょっと小腹が空いたときに、嬉しい400円。
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共永興業株式会社本社ビル内に保存されている蒸気機関車。 これは、日本国有鉄道(国鉄)の前身である鉄道省が製造した過熱式のタンク式蒸気機関車である。 1974年、本社新社屋として完成した。 同時に、1階ロビーには、初めて民間払い下げとなった第1号である蒸気機関車「C57」が展示される。 愛称は貴婦人で、そのほか、数多くのSLの動輪、ナンバープレートを展示している。
別名、安治川トンネルとも呼ばれる安治川隧道は、大阪市内中心部を流れる「安治川」の川底にあり、大阪市西区と此花区とを結ぶ歩行者専用のトンネルのこと。 これは、日本で初めてとなる沈埋工法トンネルとして知られ、今日も市民の足として多くの人が利用する。 トンネルが完成する以前、渡船の継続や架橋の計画もあったが、安治川は多くの船が行き来するため、航行の妨げになること、また、架橋も船の高さに限界があった。 そのため、1935年に、源兵衛渡跡に川底トンネルを建設。 1944年、竣工した。
安治川隧道入り口付近
川面下まで約14mあり、両岸のエレベーターや階段で降りる方式。 歩行者・自転車用の通路は幅約2m、長さ約80m。